「能力主義(公正)」による社会空間上の人間の移動ー地方出身者の諸相を中心にー

1. はじめに

 「能力主義(公正)」は社会空間上の人間の移動、所謂「社会的流動性」を拡大させたり、縮小させたりする効果がある。文脈差や個人差等の差異もある。

 人権の行使による社会空間上の人間の移動、特に複数の意味での大きな移動は、人間にどのような影響を与えるのか。

 「能力主義」による大きな社会空間上の移動を経験した人間を、地方出身者の諸相を中心に確認する。その際、発達心理学者のエリック・エリクソンの「アイデンティティ」説を補助線とする。

2. 生物学的な意味での「ヒト」と「教育」とは?ーヒトゲノム研究の場合ー 

 ヒトゲノム研究の場合では、生物学的な意味での「ヒト」は、先天的な「ヒトゲノム」と後天的な出生後の世界との相互作用の中で形成される。「ヒトゲノム」とは、「ヒトの細胞に共通して存在する DNA の全配列」を意味する。

 同じ「日本国民」(国籍)内にも「クラスター」間で「ヒトゲノム」の差異がある(例えば、斎藤成也「ヒトゲノム研究の新しい地平」、『Anthropological Science(Japanese Series)』, 第117巻 第1号、2009年等)。「クラスター」とは、「遺伝的に似た個体どうしがまとまって出来る集団のかたまり」を意味する。例えば、「日本本土人」、「沖縄人」、「アイヌ人」等である。

 ヒトゲノム研究によれば、「ヒト」の形成に対する出生後の世界との相互作用の一つの構成要素として「教育」もある。同じ両親から生まれた双生児でも、一卵性双生児の場合、ヒトゲノムは殆ど同一だが、二卵性双生児の場合、ヒトゲノムは異なる。現段階では「教育」による「ヒト」の潜在能力の発現効果も、否定されず支持されている。技術的には「ヒトゲノム」編集も可能であるが、法規範的には制限、禁止されている場合もある。

 「戦後教育学のリーダー」とされる堀尾輝久も、次のように「自然的差異」(現在の「ヒトゲノム」?)を「人間」形成の前提にして来た。

 「環境が人間を創る」というのは、人間形成理論として、確かに一面的である。さらに、これを根拠とする人間平等論が、もし自然的差異を否定するならそれは誤っている。

堀尾輝久『現代教育の思想と構造―国民の教育権と教育の自由の確立のために―』岩波書店、1971年、p.263。

 他方、本田由紀日本教育学会会長(2026年現在)は、次のように教育社会学はヒトゲノム研究の成果の参照には消極的であると指摘している。

 双生児データやIQテスト結果などを用いて,遺伝的要因や「知能」を生得的「能力」とみなすことにも,教育社会学は消極的である(たとえば,平沢・古田・藤原(2013)の詳細な研究レビューにおいても,これらの変数はまったく言及されていない)。

本田由紀「能力とはー社会学の観点からー」、『日本労働研究雑誌』第681号、2017年4月、p.47。https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/04/pdf/046-048.pdf

 「平沢・古田・藤原(2013)」とは、平沢和司・古田和久・藤原翔「社会階層と教育研究の動向と課題」『教育社会学研究』第93集、2013年である。日本の教育社会学にとってヒトゲノム研究の成果は、一つの「タブー(禁忌)」かも知れない。そうすると日本の教育社会学は、「能力」形成を含めた「人間」形成の一側面しか「学問」的に説明出来ない可能性もある。

3. 「人間」と「教育」とは?ー国際人権基準の場合ー

(1)世界人権宣言第1条

 すべての人間(All human beings)は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とにおいて平等である。人間は理性(reason)と良心(conscience)とを授けられており、互いに友愛の精神(a spirit of brotherhood)をもって行動しなければならない。

https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html

(2)世界人権宣言第26条

 教育(Education)とは、人間的パーソナリティ(human personality)の十全な発達(full development)並びに、人権及び基本的自由のリスペクトの強化を指向するものとする。教育は、すべての国民の間及び人種的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好(friendship)を促進し、並びに、平和の維持のための国際連合の活動を推進するものとする。

https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html

4. 「能力主義」とは?

(1)日本国憲法第26条

 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm#3sho

(2)改正教育基本法第4条

 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/mext_00003.html

5. 社会移動の自由とは?

日本国憲法第22条

 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

6. 発達心理学者のエリック・エリクソン「アイデンティティ」説ー一つの補助線としてー

(1)「アイデンティティ identity」

  ‘エリクソン’(Erikson,E,H.1959)の心理社会的発達理論の用語で、正確にはエゴアイデンティティ(ego identity)である。自我同一性、同一性と訳されるが、単にアイデンティティなどともよばれる。エリクソンによれば、アイデンティティの間隔とは、内的な不変性と連続性を維持する各個人の能力(心理学的意味での個人の‘自我’)が、他者に対する‘自己’の意味の不変性と連続性とに合致する経験から生まれた自信であり、「自分は自分でありほかの誰でもない」という感覚と、「過去も今日も未来もずっと自分であり続ける自分」についての意識が、他者からも同じように認識されているという感覚をさす。つまり、アイデンティティとは、内省により自覚される‘自己意識’であり、他者との相互作用により自覚され、評価される社会的な自己をさす。

「アイデンティティ identity」、『有斐閣 現代心理学辞典』有斐閣、2021年。

(2)「アイデンティティ拡散 identity diffusion」

 ‘アイデンティティ’確立と対をなす概念。‘エリクソン’(Erikson,E,H.1959)によると、‘青年期’は、急激な身体的成長と生殖器の成熟に伴い、それ以前の‘発達段階’ですでに理想人物に同一化させていた自己像を見直す必要に迫られるとされる。この時期に、「自分とは何か」について模索して試行錯誤するなかで、自分が何をしたいかを見失い(自己選択の回避、‘理想自己’)、だめな役割に同一化したり(否定的アイデンティティの選択)、希望をもてなくなって(‘時間的展望’の拡散)、行動や努力ができなくなっている状態を、アイデンティティ拡散とよんだ。

「アイデンティティ拡散 identity diffusion」、『有斐閣 現代心理学辞典』有斐閣、2021年。

(3)伏線 Aー政治哲学者のチャールズ・テイラーの「アイデンティティ」論ー

 他者の承認が得られる社会では、ひとびとはアイデンティティに満足していますが、まだ他者からの承認が得られていないような小さな飛地的社会では、ひとびとはとても傷つきやすくなっています。だからアウトサイダーにとって承認の問題はさし迫った問題です。特に社会的上昇を遂げたアウトサイダーが、自分たちをもとの歪んだ像にひきもどすような企てを承認しないということは実際にはあり得ることです。かれらにとってそのようなことは、極めて不安なことであり、社会的上昇によって獲得した力を失うことになるからです。

チャールズ・テイラー[岩崎稔+辻内鏡人訳]「多文化主義・承認・ヘーゲル」、『思想』第865号、岩波書店、1996年7月、p.9。

(4)伏線 Bー社会学者のピエール・ブルデューの「アイデンティティ」論ー

 私が「奇跡を受けた者たち」と呼ぶ者たちにとっては、学校での好成績の社会的諸決定要因をあらわにすることは言語道断なことなのです。ひとつの理由は、それによって彼らの実力(メリット)による成果がゼロになってしまうからです。これらの人々のかなり多くが六八年の学生運動の過程あるいはその後で超保守主義者になりました。彼らは古典的な左翼=共産党から古典的な右翼、あるいは極右に変わりました。学生運動は彼らに大変な精神的外傷を与えました。学生運動は彼らの自己像、アイデンティティを破壊してしまったのです。 

ピエール・ブルデュー+堀尾輝久+加藤晴久「いま教育に何を求めるのか」、『世界』第541号、岩波書店、1990年5月、p.120。

(5)伏線 Cー日教組教育制度委員会の「能力主義=「人間」「教育」解体」論(1974年)ー

 能力主義こそは、今日の教育荒廃の元凶、教育諸悪の根源というべきである。一方で、この体制のもとでは、いわゆるハイ・タレントの「すぐれた能力」そのものをも、いびつなものに転化し、知的エリートの人間性破壊が同時に進行していることが指摘されなければならない。あまたの友人をおしのけて、登竜門を通過することに成功したエリートたちが、いかにゆたかな感情を欠き、官僚的で偏狭で非合理な冷たさを露呈するのかは、その実例に乏しくない。

日教組教育制度検討委員会+梅根悟編『日本の教育改革を求めて』勁草書房、1974年、pp.82~83。

7. 「能力主義(公正)」によって社会空間上を移動した人間ー地方出身者の諸相を中心にー

(1)教育社会学者の清水義弘の場合

(a)経歴

1917年、佐賀県三養基郡鳥栖町大字鳥栖782-1。

(中略)

1978年4月1日 上智大学教授(文学部)(教育学科ーー引用者による注)

清水義弘『われはしつつか。なにわざを。―教育社会学と私―』東信堂、1987年。

(b)東大教育学部時代

 最もシリアスな問題は、卒業論文と修士論文の審査の際、評定をめぐって学科内で毎年対立したことである。海後教授はもちろん中立的だったが、勝田教授、特にある助教授にいたってはそうではなかった。彼は、「進歩的」で「民主的」で「観念的」な論文が好きなようで、「人間を尊重する教育」といった題目には目が無かった。読んでみると、その論文は大抵の場合傾向的な新聞や雑誌からの引用だった。彼はこれを「問題意識が鋭い」と言って、いつも高得点を出した。

清水義弘『われはしつつか。なにわざを。―教育社会学と私―』東信堂、1987年、p.69。

(2)英語学者の渡部昇一の場合

(a)経歴

1930年、山形県鶴岡市出身。英語学者、上智大学名誉教授。上智大学文学部英文学科卒業、上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了、Universitat zu MunsterからDr.phil.magna cum laudを授与。カトリック信徒。臨時教育審議会の専門委員等歴任。

「略歴・主要業績」、『英文学と英語学』第37巻、上智大学英文学科、2000年等。

 私も大学生のときは極度に貧しかった。英文科に何人いたか知らないが、私より貧しかった人間はいなかった。

渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書、1976年、p.82。

(b)「不平等主義」(2001年)

 たとえば藤原紀香や松嶋奈々子は、「美しい」という理由によって何億円もの収入を稼いでいる。普通の女性、あるいは美しくない女性が、「こんな不平等なことがあっていいのか」と抗議したところで、これは仕方がない。もし「日本の女性をみんな平等にせよ」と唱えたとしても、日本の女性をすべて美女にすることは不可能である。しかし、日本の女性をすべて不美人にすることは、じつは簡単である。「女の子が生まれたら、三日以内に鼻に焼きゴテを当てるべし」という法律をつくればよいのである。これで日本中の女性はみんな平等に不美人になる。みんな美人にはできないが、みんな不美人にすることはできる。極端な例ではあるが、平等主義とはこういうものである。(中略)「平等」とは「一番悪いほうに合わせる」以外には実現し得ない。そのことを日本人ははっきりと認識すべきである。ほんとうに貧しい人に対しては当然、社会政策として最低限の救いがあってよい。ただし、その最低限は「飢えず、凍えず、雨露に当たらず、痛みをなくする程度の医療」であって、それ以上の面倒を国家が見る必要はない。「そこで諦める人はそのまま人生を送って下さい。しばらく羽を休めてから立ち上がって仕事に入る人はそれもよろしい」とするのが望ましい姿であろう。それ以上を与えれば、与えられた人間は必ず堕落する。本来平等ではあり得ないものを平等にしようというのは土台無茶な話なのである。

渡部昇一『不平等主義のすすめ―二十世紀の呪縛を超えて―』PHP研究所、2001年pp.45~47。

(3)評論家の西部邁の場合

 一九三九(昭和十四)年三月、北海道山越郡の漁村町・長万部町に生まれる。父は浄土真宗派の末寺の末男、母は農家の末女。兄と妹四人の六人きょうだい。札幌郡厚別の信濃小学校、札幌の柏中学校、南高校に進学。(中略)高校卒業までは、マルクスもレーニンもスターリンも毛沢東も知らぬノンポリの重症の吃音少年であった。五七(昭和三十二)年、東京大学の受験に落ち、翌年四月、東大教養学部(駒場)に入学、三鷹寮に入る。同年十二月に結成されたブント(共産主義者同盟)に加盟する。在学中は東大自治会委員長、全学連の中央執行委員として「六十年安保闘争」で指導的役割を果たすが、羽田事件(六十年一月十六日)で逮捕・起訴され二月末に保釈。新安保条約が自然成立した(六月十九日)のちの七月初め、全学連大会の途中で逮捕、未決拘留で投稿拘置所に収監されるが、十一月末に保釈で出所。そのときすでにブントは解体しており、翌六一(昭和)年三月、左翼過激派と訣別する。それから七年、三つの裁判所を通い、その間、六四(昭和三十九)年三月、東大経済学部を卒業。

「著者略歴」、西部邁『僕と妻—寓話と化す我らの死―』飛鳥新社、2008年、p244。

(4)イエズス会士の高祖敏明の場合

(a)経歴

生年と出身地、大学入学歴までの学歴が不明。

1971年3月 上智大学文学部哲学科卒業

(中略)

1976年4月 上智大学文学部教育学科助手

「高祖敏明教授 年譜・主要研究業績」、『上智大学教育学論集』第52号、2018年。

 広島県出身で家族は浄土真宗の安芸門徒。イエズス会設立の広島学院に進学し(中略)洗礼を受けた。聖職に生きると決めたのは20歳の時。(後略)

「(ひと)高祖敏明さん 「潜伏キリシタン図譜」を完成させた聖心女子大学長」、『朝日新聞』のネットの有料記事、2022年3月22日。

(b)皇室/皇太子妃観

 皇太子妃が2代続けて、カトリック学校に学んだ女性から選ばれた。マスコミ報道によれば、そのためカトリック教育に世間が改めて注目しているという。母校に連なる直接の関係者でなくても、カトリック学校にゆかりのある人の中には、まるで自分のことのように誇りに思い、喜びを感じている人も少なくないであろう。

高祖敏明「カトリック女子教育のアイデンティティー―二重の混乱と最近の再構築の試みを中心に―」、『カトリック女子教育研究』第2号、カトリック女子教育研究所、1993年、p.1。

(c)二重の「アイデンティティ」の危機説ー1970年代後半~1980年代後半ー

 1960年代、教皇ヨハネ23世は第二バチカン公会議を開催し、教会の「現代化」を目指して、「貧しい人々を優先する選択」を採択した。

 (日本のカトリック系学校が――引用者による注)実際に「富める者のための学校」となっている以上、第2ヴァティカン公会議をとおして基本姿勢の転換を図った現代の教会の方針にそぐわない。なぜなら、この姿勢転換とは、福音を「時のしるし」のもとに読み直して、「貧しい人を優先させる」という方針に切り替えたものだから、と攻めたてられる。こうして、福音にもとづいて始められたはずの教育使徒職が福音の名において批判され非難されるという、悲しくゆゆしい事態に陥った。

高祖敏明「カトリック学校の役割の再発見―二一世紀に向けての魅力ある学校づくり―」、『カトリック教育研究』第12号、1995年、p.6。

 以上から10年~20年間のタイムラグが確認出来る。

(5)教育社会学者の武内清の場合

(a)経歴

生年、出身地は不明。

1960年 東京都立日比谷高等学校 卒業

(4年間のランクがあるーー引用者による注)

1964年4月 東京大学教養学部理科Ⅱ類 進学

(中略)

1988年4月 上智大学文学部教育学科教授

「武内清 年譜・主要研究業績」、『上智大学教育学論集』第44号、2009年。

(b)日比谷高校時代

 学生運動の世代は、マルクスや吉本隆明などを読み生き方の方針にしていたが、学生運動が挫折した後の世代は、フロイトやユングなどの心理学を読んで生きる指針を探し始めた。社会的要因を抜きに心理学的に解決しようとする心理学主義が蔓延している。(中略) 自分自身のことを振り返ると、伝統のある自由な雰囲気の都立高校で過ごした三年間の高校生活は、その後の研究テーマに影響を与えている。(中略)しかし、東京の中流上層階層の文化を反映した都立高校の学校文化は、中の下の階層出身には適応し難かった。(中略)学校文化と出身階層との関係に関心をもったのは、この高校時代の文化体験(葛藤)にもとづいている。

武内清「学生文化への関心―自分の研究をふりかえる―」、『ソフィア』第55巻第3号、上智大学、2006年秋季、p.119。

(c)東大時代

 都立高校の高校の学校文化をやっと少し身につけ、大学に入学したと思ったら、そこには全国津々浦々から学生が集まった「田舎文化」の蔓延した国立大学で、また文化葛藤を味わう羽目になった。

武内清「学生文化への関心―自分の研究をふりかえる―」、『ソフィア』第55巻第3号、上智大学、2006年秋季、p.119。

(6)公共哲学者の山脇直司の場合

 私にとって人権は、学問を横断するというよりも、むしろ学問以前のいわば社会生活の基盤です。第一に、幼い頃に目撃した不平等な社会環境です。(中略)私にとって人権は、このような格差や不平等の問題を正す社会権と結びつき、それが人権思想を考える原点になっています。(中略)第二に学生時代に吸収した神学、哲学によるものです。(中略)学生運動にもかかわっていました。ですから思想的には、マルクス主義的なものではなく、むしろ実存主義やカトリック左派の考えの影響を受けていました。

山脇直司+桐ケ谷章+石神豊「人権・公共哲学・宗教を語る」、『東洋学術研究』第57巻第2号、東洋哲学研究所、2018年、pp.10~11。

 私が育った青森県の八戸市には、当時、出稼ぎに出なければならない中学生が沢山いました。また、りんごを売る時期になると、行商人がやってきて、安いりんごを買っていく様子も見かけました。私は、そのような人々が暮らす片田舎の東北とエリートが暮らす都会との間に、周縁と中央という不平等な構造があることを知り、中央から周縁に向けられた偏見も絶えず気になりながら育ちました。

同上書、p.10。

(7)教育社会学者の苅谷剛彦の場合

(a)経歴

1955年、東京都。

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ―学歴神話と平等神話の戦後史―』中公新書、1995年。

 東京の下町に生まれ育った私の学校時代は、本書が対象とした時期とだいたい重なる。私の通った小中学校の学区には、日雇い労働者の居住地が含まれていた。その日の仕事であぶれた大人たちが路上でたたずんでいる。そのかたわらを、私は学校へと通った。(中略)同級生の中にはいろいろな事情で高校に進学できない友人たちがいた。(中略)大学まで進んだ友人は多くはなかった。(中略)私自身にしても、大学の夜学を中退し小さな会社をはじめた父親の事業が高度経済成長の波にのって成功しなかったら、大学まで行けたかどうか。(中略)経済成長と教育拡大の時代を生き、その恩恵をこうむったのは私自身だったのかもしれない。

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ―学歴神話と平等神話の戦後史―』中公新書、1995年、pp.220~221。

(b)「文化的再生産」論ー『大衆教育社会のゆくえ』(1995年)ー

 事実のレベルで見るかぎり、日本においても『階層と教育』の関連自体は、(イギリスとアメリカ)両国とあまり変わらない。(中略)ミドルクラスと労働者階級とを歴然と分かち、『二つの国民』『オレとヤツラ』という表現でしばしば問題にされるイギリスの階級制度。競争社会といわれながら、なお『人種差別』に代表される階層構造を維持し続けているアメリカ。これら二つの社会とほぼ同じ程度に(あるいはそれ以上に)、日本においても、どのような家庭に生まれたのかが、子どもの教育達成に大きな影響を及ぼしているということはもはや明らかであろう。

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ―学歴神話と平等神話の戦後史―』中公新書、1995年、p.103。

(8)政治学者の岡野八代の場合

1967年、三重県。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。博士(政治学)。

岡野八代『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想ー』岩波新書、2024年。

 わたしは、三重県の松阪市で生まれ育ちました。松阪牛で有名なわたしの故郷は、大学進学を機に離れてみてようやく、歴史的に作られた複雑な差別構造をもった市なのだと気づきました。それ以来、差別やアイデンティティの問題に関心をもち、歴史的・理論的にこれらの問題を考えるために、哲学ではなく、政治思想を専門に選びました。内向的な思索ではなく、世界とのかかわりの中で、差別やアイデンティティの問題を考えたかったからです。

https://global-studies.doshisha.ac.jp/gs/faculty_members/list/okano/index.html

8. おわりに

 「能力主義(公正)」による大きな社会空間上の移動が人間に与える影響を、複数の地方出身者の諸相を中心に、「アイデンティティ」説を補助線として確認した。

 エリクソンの「アイデンティティ」説とは、「ライフサイクル」説でもある。エリクソンは「アイデンティティ」の確立を「青年期」の「発達課題」として考えた。しかし、「青年期」は、進学によって社会空間上を人間が移動する時期と対応しているので、一見そう見えるだけかも知れない。日本も例外ではない。そうすると日本の地方出身者の諸相は、「ライフサイクル」説の「反証」でもあり得る。

 それを基礎にすれば、新説として「社会空間上の移動=アイデンティティ危機」説を提示することも出来る。しかし、類似した先行研究の検討は、今後の課題とする。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする