1. はじめに
冷戦期の日本の「平等」の一つの支配イデオロギーは、マルクス主義だった。しかし、冷戦後、国連は人権の普遍性を確認した。
冷戦後日本の「(不)平等」から「格差」への変化を確認し、「格差」の問題点を検討する。
2. 規範
(1)規範としての人権
1946に公布された日本国憲法では、基本的人権が「公共の福祉」とのバランスの中で保障された。
1947年、米ソ冷戦の本格化。
1948年、国連は世界人権宣言を採択したが、東西等で「人権」の評価は分裂した。しかし、1966年以降、同宣言は法規範化された。
1989年、米ソ冷戦終結、1991年、ソ連崩壊。
1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性を確認し、その後、人権(教育)政策を展開し、日本政府も応答した。
2015年、国連は「持続可能なデベロップメント・サミット」で「持続可能なデベロップメント目標(SDGs)」を採択し、人権を中心価値の一つとして位置付けた。
(2)日本国民の人権意識=無知ー人権擁護推進審議会答申(1999年)ー
現に,総理府が平成9年7月に実施した「人権擁護に関する世論調査」において,基本的人権が侵すことのできない永久の権利として憲法で保障されていることそれ自体を知らないと答えた者の割合が,回答者全体の20.1パーセントを占めており,その結果から見ても,基本的人権についての周知度がいまだ十分とは言えない状況にある。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/jinken/06082102/016/008.htm
国民の人権の無知は、次の可能性を示唆する。
①人権教育が殆ど実践されて来なかったこと。
②人権教育は実践されて来たが、効果がなかったこと。
3. 冷戦期の日本の「(不)平等」
(1)「戦後教育学のリーダー」堀尾輝久の場合
1962年、「戦後教育学のリーダー」とされた堀尾輝久は、博士号(東京大学)を取得した。1971年、堀尾は改訂された博士論文を含む論文集を、岩波書店から『現代教育の思想と構造ー国民の教育権と教育の自由の確立のためにー』として発表した。
同書で堀尾は「平等」を次のように定義した。
労働の搾取と、富の蓄積のからくりを科学的に解明することによって、このような理論を媒介することによってはじめて、社会主義運動は、不平等への自然発生的反作用的性格から高度な自覚的運動へと発展する。そしてこの科学的解明の理論こそ、マルクスの剰余価値理論に他ならない。(中略)こうして、今日の平等思想は、資本主義の科学的分析を媒介とする経済的実質的平等の要求・階級廃止の要求に収斂される。
堀尾輝久『現代教育の思想と構造―国民の教育権と教育の自由の確立のために―』岩波書店、1971年、pp.243~244。
以上から堀尾がいう「平等」には、次のような特徴がある。
①「不平等」は、労働の搾取と富の蓄積の科学的解明であるマルクスの剰余価値理論によって説明出来出来ること。
②「平等」=「経済的実質的平等の要求・階級廃止」。
(2)マルクス主義の正典と人権の不整合ースティーヴン・ルークス説ー
この場合、わたしが理解するかぎりでは、マルクス主義の正典には、人権を擁護するための論拠が用意されていないのだ。それどころか、われわれが 以下のトロッキーの主張に従うとすれば、マルクス主義の正典は、人権の擁護に反対する論拠さえ与えることになる。そのトロッキーの主張とは、 (1)重要な境界線は、平和的な階級闘争と革命とのあいだには引くことができない、しかも(2)共産主義社会へと至る途は、革命的な手段、つまり 暴力的な手段による以外にはない、というものである。(中略) 以上〔の分析〕から、わたしの結論は以下のようになる。マルクス主義者は先に示した意味において、人権を信奉できない。それゆえに、人権を信奉する誠実で率直なマルクス主義者の多くは、 人権の信奉と両立しないマルクス主義の正典の核心にある諸教義を破棄ないし放棄した修正主義者でのみありうるのである。
スティーヴン・ルークス[中島吉弘訳]「マルクス主義者は人権を信奉できるか Can a Marxist Believe in Human Rights?」、『長野大学紀要』第15巻第4号、1994年、p.148。
(3)マルクス主義の修正主義
堀尾の改訂された博士論文は、規範としての人権を支持するものである。マルクス主義は、人権等の法規範を「上部構造」と捉えて尊重せず、「階級廃止」を重視する。
堀尾も「平等」を「階級廃止」と捉えた。この点はマルクス主義的である。しかし、堀尾は「上部構造」である人権も重視する。
この点で堀尾の改訂された博士論文は、マルクス主義の修正主義と評価出来る。
4. 冷戦後日本の価値の変化ー「(不)平等」から「格差」へー
(1)1990年代の「(不)平等」
冷戦後の1995年、教育社会学者の苅谷剛彦は、『大衆教育社会のゆくえー学歴神話と平等神話の戦後史ー』(中公新書)を発表した。サブタイトルでは「平等」が使用されている。
苅谷は本文でも次のように「格差」ではなく「不平等」を使用している。
戦後の日本社会でも、どのような家庭に生まれたかによって、学校での成績が違ったり、どのような学歴が得られるのかが異なっていた。その意味で日本でも教育を通じた不平等の再生産が行われていることは間違いない。
苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえー学歴神話と平等神話の戦後史ー』中公新書、1995年、p.202。
しかし、苅谷は「平等」を堀尾のように「階級廃止」として発想していない可能性はある。
1998年、経済学者の橘木俊詔は、『日本の経済格差』(岩波新書)を発表した。タイトルでは「格差」が使用されているが、本文では所得の資産の「不平等」が検討され「不平等」が使用されている。しかし、橘木は「不平等」と「格差」の異同は検討していない。
以上のように冷戦後の1990年代後半では、「格差」と「不平等」が混在し、「格差=不平等」という発想様式が確認出来る。
(2)2000年代以降の価値の変化ー「(不)平等」から「格差」へー
2001年、教育社会学者の苅谷は、『階層化日本と教育危機ー不平等再生産から意欲格差社会へー』(有信堂)を発表した。
苅谷は同書の「はじめに」で「所得格差」というタームを使用しようしている。この点は、経済学者の橘木と類似している。しかし、苅谷は「意欲格差」というタームも使用している。苅谷がいう「意欲格差」とは「階層」間の「意欲格差」である。苅谷の特徴は、「階層」間の「意欲」の「不平等」を、「意欲格差」と表現する点にある。
しかし、苅谷は本書では「不平等」というタームも使用している。苅谷も橘木同様に「格差」と「不平等」の異同を検討していない。
以上から冷戦後の日本のアカデミズムでも、少なくとも経済学界や教育学界では、「不平等」と「格差」の異同は検討されていないことが確認出来る。
しかし、その後、日本の言論界では所謂「格差」論が活性化したと考えられる。
5. 支配的な「格差」論の「格差」の問題点
冷戦期の「不平等」はマルクスの剰余価値理論から説明され、「平等」は「階級の廃止」と発想された。冷戦後の2000年前後は「格差」と「不平等」は併存したが、その後徐々に「格差」が支配的になった可能性はある。
「格差」と「不平等」の異同は不明確である。支配的な「格差」論は、冷戦期の「不平等」論のようにマルクス主義的なイデオロギーを必ずしも基礎にしていないと考えられる。言論界で支配的な「格差」論の「格差」は、理論というよりは一種の実感や「リアリティ」であると考えられる。
現在の「(不)平等」の重要な基礎研究の一つとして、冷戦後の1992年に公表されたリベラル派の厚生経済学者アマルティア・センの『不平等の再検討』がある。しかし、センは「不平等(inequality)」は使用するが「格差(disparity等)」は使用しない。
「格差」が一種の実感やリアリティである場合、「差異」や「多様性(ダイバーシティ)」との区別も難しくなる。また、「不平等」の反対語は明確に「平等」だが、「格差」の反対語は不明確である。
以上のように「格差」は非常に曖昧な概念であると評価出来る。
6. おわりに
規範と価値を、人権と「(不)平等」と「格差」を中心に整理した。
冷戦期のマルクス主義的「(不)平等」は、冷戦後に「格差」へ変化した。それはイデオロギーから実感やリアリティへの変化でもある。
支配的な「格差」論の「格差」は、規範としての人権を前提にしていない可能性もある。しかし、両者の検討は、今後の課題とする。