人権における「科学」の位置付けー「科学」観の複数性を踏まえてー

1. はじめに

 日本国憲法(1946年)では、「ハイレベルな人権」ではなく「基本的人権」として「科学の自由」ではなく「学問の自由」が保障されている。国連の世界人権宣言(1948年)では、「学問の自由」も「科学の自由」も規定されていない。

 人権における「科学」の位置付けを確認する。その際、自然科学、社会科学、人文科学の「科学」観を比較し、「科学」観の複数性も確認する。

2. 人権における「科学」の位置付け

(1)ユネスコ憲章(1945年)の場合

 これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。

https://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm

第1条

1 この機関の目的は、国際連合憲章が世界の諸人民に対して人種、性、言語又は宗教の差別なく確認している正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育、科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによって、平和及び安全に貢献することである。

https://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm

 ユネスコ憲章では次の二点が重視されている。

 ①拘束を受けない「客観的真理」の探究。

 ②「科学」等を通じた諸国民間の協力の促進による「平和」や「安全」への貢献。

 ユネスコ憲章では、日本国憲法のような「学問」ではなく「科学」が重視されている。しかし、「科学」が定義されていない。また、「客観的真理」と「学問」の関係も明確ではない。

(2)国連の世界人権宣言(1948年)の場合

第1条

 すべての人間(All human beings)は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とにおいて平等である。人間は理性(reason)と良心(conscience)とを授けられており、互いに友愛の精神(a spirit of brotherhood)をもって行動しなければならない。

https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html

 同宣言第1条では、普遍主義的「人間」観が提示されている。それは主/客を識別する「理性」と善/悪を識別する「良心」と「友愛の精神」を持つ「人間」である。

 普遍主義的「人間」観は、ユネスコ憲章が重視した「客観的真理」とも関係する。

第27条

1 すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学的(scientific)な進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。

https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html

 同宣言第27条では、日本国憲法のような「学問の自由」ではなく、「科学的(scientific)な進歩とその恩恵とにあずかる権利」が重視されている。

3. 日本国憲法の「基本的人権」における「学問」の位置付け

前文

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

https://hourei.net/law/321CONSTITUTION

第11条

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

https://hourei.net/law/321CONSTITUTION

第23条

 学問の自由は、これを保障する。

https://hourei.net/law/321CONSTITUTION

 前文では「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定されている。そうすると憲法で保障された「基本的人権」も前文との関係で解釈する必要がある。

 憲法第23条では「基本的人権」の一つとして「学問の自由」が保障されているが、「学問」は定義されていない。また、同条で保障されている「基本的人権」は、「科学の自由」ではなく「学問の自由」である。そうすると「科学」と「学問」との関係も問題になる。

3. 「サイエンス(科学)」と「アカデミック」「アカデミア」「アカデミズム」と「学問」の比較

(1)「サイエンス(科学)」

 「サイエンス(科学)」の哲学的基盤は、古代ギリシャ語の「epistēmē(エピステーメー)=体系的知識」にある。

 近代以降の「サイエンス(科学)」の語源は、ラテン語の「scientia(スキエンティア)」にある。「scientia」とは、もともとは自然科学に限定されない「体系的知識」全般を意味する。

(2)「アカデミック」「アカデミア」「アカデミズム」

 「アカデミック」「アカデミア」「アカデミズム」の語源は、古代ギリシャのプラトンが開設した「Akadēmia(アカデメイア)=学術共同体」である。当時の「Akadēmia」は、制度化された「学校」ではなく対話を中心にした学術共同体だった。「Akadēmia」は、「サイエンス(科学)」とは異なる。

(3)「学問」

 憲法第23条の「基本的人権」としての「学問の自由」の「学問」には、次の三点の特徴がある。

 ①「科学」や「アカデミック」「アカデミア」「アカデミズム」ではない。

 ②ユネスコ憲章の「客観的真理」の探究よりも広い意味を持つこと。

 ③恐らく「学術」<「実学」を重視した福沢諭吉の『学問のすすめ』の「学問」観<より広い意味での「学問」。

5. 自然科学と社会科学と人文科学の「科学」観の比較

(1)自然科学の「科学」観

 ①世界は客観的な法則に従っている。

 ②人間の認識とは独立した普遍的因果関係が存在する。

 ③観察すれば、誰が見ても同じ結果が得られるという前提がある。

(2)社会科学の「科学」観

 ①社会現象は複雑だが、パターンや構造は実証的に分析出来る。

 ②人間は意味を持つ存在であるため、完全な客観性は難しい。

 ③自然科学の普遍的法則ではなく、「方法的客観性」を追求する。例)マックス・ウェーバーの「理念型」アプローチ等。

(3)人文科学の「科学」観

 ①人間の文化、歴史、思想は、意味、価値、文脈で成立する。

 ②自然科学のような普遍的法則ではなく、「理解(Verstehen)」を中心とする。

 ③真理は単一ではなく、多元的、解釈的である。

6. おわりに

 ユネスコ憲章は、拘束を受けない「客観的真理」の探究としての「科学」等を通じた諸国民間の協力の促進による「平和」や「安全」への貢献を重視した。

 日本国憲法も「平和」を基礎に「基本的人権」を位置付け、「学問の自由」を保障した。しかし、恐らくユネスコや世界人権宣言の「科学」観と憲法の「学問」観は完全には一致しない。その結果、「学問の自由」は必ずしも「科学の自由」ではない。

 また、自然科学、社会科学、人文科学の「科学」観にも複数性がある。複数の「科学」観は、ユネスコ憲章が規定した「平和」や「安全」への貢献と完全に一致するかは不明である。「科学」の成果の軍事転用等を考慮すれば、一致しない場合もあり得る。憲法の「学問の自由」も同様に前文と一致しない場合もあり得る。

 「サイエンス(科学)」や「学問」の語源は、古代ギリシャにある。古代ギリシャでは「ソフィア」も重視された。しかし、「サイエンス」と「学問」と「ソフィア」の比較検討は、今後の課題である。

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