日本における大学の「能力主義」の一つの現実ー「無能力(者)の支配」の形成ー

1. はじめに

 日本の大学では「能力主義」は実現しているか?

 日本では「能力主義」は「公正」と評価されている。そうすると「能力主義」の実現は、「公正」の実現でもある。

 日本の公権力の「職業差別」概念も「能力主義」的に構成されている。

 他方、「学校」領域での「能力主義」の実現は、「人間」と「教育」の解体とする説もある。また、職業領域で「能力主義」は実現しているのかという問題もある。歴史的には、「能力主義」は、「学歴主義」や「年功序列主義」を批判するものとして提示された。

 以前は「学校」領域への「能力主義」の適応を巡って教育の左右対立が構成された。

 本稿では、「学校」領域での「能力主義」の実現は、「人間」と「教育」の解体であるとともに、職業領域では「能力主義」が実現していない場合もあることを、一つの事例の検討を通して示す。

 本稿では典型事例として、教育社会学者の武内清を取り上げる。武内は「能力主義」のイデオローグだった教育社会学者の清水義弘の東大時代の弟子である。

2. 教育社会学者の武内清とは誰か?

 専門職としての研究職の「能力主義」とは、「業績主義」である。研究職にとっての「業績」とは、全国規模のレフリー制の学会誌の掲載論文数である。 

 武内のプロフィールを、「武内清教授 年譜・主要研究業績」(『上智大学教育学論集』第44号、2009年)を手掛かりに概観する。その際、武内の「業績」に注目する。

 武内は、生年月日と出身地を「年譜」でもカミングアウトしていない。

 清水等の「独立運動」により東大大学院で「教育社会学コース」が独立した1960年、東京都立日比谷高校卒業、東大教育学部教育学科で「教育社会学コース」が独立した1963年の翌1964年、東大教養学部理科Ⅱ類入学。高校卒業から大学進学までの4年間のブランク期のプロフィールは記載されてないので不明だが、4年間浪人していた可能性もある。

 1966年、文転し、東大教育学部教育社会学コース進学、「東大紛争」期の1968年、同卒業。同年、東大大学院教育学研究科教育社会学専攻修士課程入学、1970年、同博士課程進学、「シラケ世代」登場期と重複する1974年、同単位取得満期退学。 

 1974年、東大教育学部助手。当時の武内の「業績」は、「東大紛争」後の「生徒の下位文化をめぐって」(『教育社会学研究』第27号、1972年)という「研究ノート」一本だけだった。

 1978年、武蔵大学人文学部社会学科専任講師(社会心理学、社会学演習担当)、指導教官の清水が上智大学教育学科教授を退職した1988年、同大学同学科教授(教育社会学、同演習担当)、2005年、同大総合人間学部教育学科教授、2010年、同退職、同大学名誉教授。

 1999年~2000年、日本学術審議会・特別研究員等審査委員会専門委員、2006年~2008年、特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)審査部会委員、2008年~2010年、新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援GP)実施委員会委員、2008年~2010年、千葉県立高等学校再編成計画評価委員会委員長等々。

4. 教育社会学者の武内清の研究関心の起源ー下位の生徒・学生文化の研究ー

 2006年、武内は東京都立高校時代の「個人的体験」に自分の「下位学生文化」研究の起源があることを証言した。

 「自分自身のことを振り返ると、伝統のある自由な雰囲気の都立高校で過ごした三年間の高校生活は、その後の研究テーマに影響を与えている。(中略)しかし、東京の中流上層階層の文化を反映した都立高校の学校文化は、中の下の階層出身には適応し難かった。(中略)学校文化と出身階層との関係に関心をもったのは、この高校時代の文化体験(葛藤)にもとづいている」(武内清「学生文化への関心ー自分の研究をふりかえるー」、『ソフィア』第55巻第3号、上智大学、2006年秋季)。

 武内の「下位生徒/学生文化」研究の起源は、序列的な文化的「階層」差の「個人的体験」による「葛藤」にあることが確認出来る。恐らくそれは、「劣等感」や「ルサンチマン(怨恨)」の原因になったと推測出来る。しかし、武内は「階層」の科学的指標を提示せず、「上/中/下位」と「階層」を序列的に区分した。

5. 教育社会学の武内清の非科学的研究ー『文部省科学研究費報告書(1999年)』を事例にー

 武内の非科学的研究を、『学生文化の実態、機能に関する実証研究』文部省科研費報告書(1999年)に掲載されている彼の論文「学生文化の規定要因に関する分析」を手掛かりに、フランスの社会学者ピエール・ビルデューが提示した「ハビトゥス」概念の「誤認」を通して確認する。

 武内は、「ハビトゥス」を「家庭や学校で長い時間をかけて形成される行動様式」と定義し、教育社会学者の竹内洋の不正確な解釈を武内は継承した。また、武内は、エビデンスを提示せず、「ハビトゥス」を大学生の「出身の社会階層と密接に関係している」と断定した。しかし、教育社会学者の藤田英典は、ブルデューのフランス型「文化的再生産」論を日本に適用しようとしたが科学的に証明出来なかった。

 武内は「階級(クラス)」ではなく出身「社会階層」というタームを採用した。「階級」とは、「ブルジョア」や「プロレタリアート」のような主にマルクス主義のタームである。日本の社会科学界では「階層」や「社会階層」は、主に(教育)社会学界で使用されて来た。

 「階層」とは、所得や学歴等の指標によってグルーピングされた集団である。アメリカの文脈では英語の「ストレイタ(階層)」とは、マルクス主義の「階級」概念との対抗関係の中で形成され使用されて来た概念である。

 しかし、現在の日本の(教育)社会学界では、英語の「クラス(階級)」と「ストレイタ」は区別されず、学術論文でも両者は同一視され、英語文献上の「クラス」も「階層」と邦訳される傾向が強い。

 また、武内は、「学生の出身階層やハビタスの指標」として「両親の学歴」を採用した。学歴とは、ブルデューが提示した「文化資本」の一形態である。しかし、ブルデューの「ハビトゥス」とは、「持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステム」であり、「実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造」である(ピエール・ブルデュ[今村仁司+港道隆訳]『実践感覚』第1巻、みすず書房、1988年)。

 従って「ハビトゥス」とは、「学歴」ではない。そうすると武内は「ハビトゥス」を明確に「誤認」したことになる。

 以上から武内は「ハビトゥス」を、竹内を比較してもより一層不正確に解釈し、しかもそれを「両親の学歴」と「誤認」したことが確認出来る。その大きな原因は、武内は竹内のエッセーだけを参照し、ブルデューの著作を邦訳も含めて、一冊も参照しなかった点にある。これは学術論文としては「致命的ミス」である。「科学」とは言えない。

6. おわりに

 武内は東大の卒業生の一人である。しかし、4浪した間接的証拠もある。

 1980年代になると、東大では長期間の受験勉強を原因とする「準神経症」の発症が問題になった。そうすると武内は、「準神経症」の東大生の先駆者である可能性もある。

 武内は、「ハイ・タレント」の養成を重視する「能力主義」のイデオローグだった清水義弘の東大時代の弟子である。武内は「能力主義」により「人間」を破壊された可能性もある。

 また、清水の「能力主義」とは、「学歴主義」や「年功序列主義」を批判するものだった。しかし、武内を事例に考えると、「能力主義」の理念は実現していない。逆にそれが否定しようとしたものが肯定されている。明確にダブルスタンダードであると評価出来る。

 武内の文部省の「科学研究費報告書」は、非「科学」的なものだった。端的に言えば、「税金の無駄遣い」でもあると評価出来る。

 他方、多くの日本国民は、それを識別出来ない程度に十分無知でもある。

 このように無能(者)と無知の複合として、日本の大学では「無能力(者)の支配」という側面が実現されている。

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