1.はじめに
1948年、国連は世界人権宣言を採択した。1993年、国連は世界人権会議を開催して、「ウィーン宣言及び行動計画」を採択して、人権の普遍性、相互不可分性、相互依存性、相互関連性を(再)確認した。その後、国連は人権政策を展開し、1994年、国連人権高等弁務官を設立した。その後、国連は人権教育政策を重視した。日本政府、特に外務省も積極的にコミットした。その後、日本政府は内政でも応答して人権教育政策を展開した。
国際人権に対する「日本国民」のスタンスとは? 教育関係者とカトリック関係者を比較すると?
2.国際人権への「日本国民」の教育関係者のスタンス
(1)「戦後教育学のリーダー」堀尾輝久の場合
米ソ冷戦期の1974年、堀尾は国際人権にコミットした。
(2)「日本国民」の教育関係者
国連の世界人権会議後の1999年~2000年、教育関係者は人権を「誤認」していた。
この誤認は次のことを示唆する。
①国際人権基準の「教育への権利」の「教育」を実践する能力と適性の欠如。
②人権教育を実践する能力と適性の欠如。
3.国際人権への「日本国民」のカトリックのスタンス
(1)バチカンの場合
米ソ冷戦期の1963年、バチカンは国際人権にコミットした。
(2)日本カトリック司教団の場合
2017年、日本カトリック司教団は国際人権にコミットした。
(3)日本のカトリックの教区の場合
バチカンの文脈では「現代化」を意味する国際人権へのコミットはしていない可能性がある。
(4)イエズス会士の教育学者の高祖敏明の場合
国際人権へのコミットが確認出来ない。
これは、国際人権基準の「教育への権利」の「教育」を実践する能力と適性の欠如を示唆する。
4.おわりに
1963年、バチカンは国際人権にコミットした。その11年後の1974年、「日本国民」の教育関係者だが、「戦後教育学のリーダー」堀尾輝久は国際人権にコミットした。しかし、多くの教育関係者は世界人権会議後の2000年前後でも国際人権へはコミットしていなかった。
日本のカトリック関係者も、国際人権へのコミットにはかなりの時間を要した。2017年、遅くとも日本カトリック司教団は国際人権にコミットした。しかし、他はコミットしていない可能性がある。
バチカンに対する「日本国民」のカトリックの国際人権へのコミットの大幅な遅れは、恐らく日本のカトリックの特殊事情では説明出来ない。その根拠は「日本国民」の多くの教育関係者も、2000年前後でも国際人権にはコミットしていなかったことにある。恐らく「日本国民」の多数派自体が国際人権へのコミットに時間を要したか、あるいは現在もコミットしてない可能性がある。
そうすると「日本国民」のカトリックは、「日本国民」の多数派に「順応」あるいは「適応」していたと言える。2000年前後、日本にいたスペイン人のイエズス会士のアンセルモ・マタイスも、「日本は伝統社会だ」と戦慄していた。