日本におけるルネ・カサンの先行研究

1.はじめに

 ルネ・カサンは、1948年の国連の世界人権宣言の最も重要な起草者として評価され、1968年にはノーベル平和賞も授与されている。ルネ・カサンは、ノーベル賞の賞金を基礎に、「包括的人権教育」(コンパシート等)等を作成したヨーロッパ評議会、ヨーロッパ議会、ヨーロッパ人権裁判所等が存在するフランスのストラスブールに、「ルネ・カサン記念国際人権研究所」を設立した。「サマー・セミナー」は世界的に知られ、同研究所は国際人権研究の世界的な拠点の一つになっている。1974年夏、日本を代表する憲法学者である樋口陽一も参加し、ルネ・カサンと交流した。

1.はじめに  日本では国際人権の受容、展開は遅れた。世界人権宣言の最も重要な起草者であるルネ・カサンの認知度も低い。  ルネ...

 しかし、日本ではルネ・カサンの認知度は低い。インターネットの「コトバンク」や「ウィキペディア」でも「ルネ・カサン」の項はあるが、十分には説明されていない。また、以下のような辞典や事典等の場合、「ルネ・カサン」の項自体が無い。

 ①『世界大百科事典』平凡社、1988年。

 ②『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年。

 ③『広辞苑(第七版)』岩波書店、2018年。

 ④『法律学小辞典(第5版)』有斐閣、2018年。

 しかも、一般国民だけでなく、研究者、ジャーナリスト、パブリッシャー等のような「専門家」あるいは「知識人」の認知度も低い。

 国際法学者の田畑茂二郎は『世界人権宣言』(弘文社、1951年)で、同宣言の成立過程も説明しているが、ルネ・カサンには言及していない。ノーベル平和賞受賞は1968年であるため、当時はまだルネ・カサンの評価が世界的に確立する以前だった可能性もある。しかし、1968年後の現在でも日本では、まだ本格的なルネ・カサン研究は存在しない可能性がある。

2.日本におけるルネ・カサンの先行研究

 日本語のルネ・カサンの概説としては、以下の文献がある。 

 ①「“世界人権宣言”の起草ーカサン(仏、一九六八年)」、堤佳辰『ノーベル平和賞ー90年の軌跡と受賞者群像ー』河合出版、1990年。

 ②「ルネ・カサン」の項、ヒラリー・プール[梅田徹訳]『ハンドブック 世界の人権』明石書店、2001年。

 第二次世界大戦後、国際法学者の田中耕太郎は国連憲章や世界人権宣言等に注目して、日本国憲法との共通点を指摘した。国際法学者の斎藤惠彦によれば、田中の先行研究としては『続世界法の理論(上)』(有斐閣、1972年)がある(斎藤惠彦『世界人権宣言と現代ー新国際人道秩序の展望ー』有信堂、1984年、p.5)。

 1984年、ルネ・カサンと1974年夏に樋口と共に会食した斎藤は『世界人権宣言と現代』を公表し、同宣言の成立過程も説明した。ルネ・カサンへも言及した(同上書、p.103等)。

 2000年、僧侶である寿台順誠は『世界人権宣言の研究ー宣言の歴史と哲学ー』(日本図書刊行会)を公表した(本稿で参照しているのは、2021年の株式会社22世紀アート刊行版)。寿台はJohannes Morsink,“The Philosophy of the Universal Declaration”(1984年)を手掛かりに問題を設定している。しかし、寿台は「参考文献」では取り上げられているが、序章で先行研究として斎藤の『世界人権宣言と現代』を位置付けて検討していない(22世紀アート刊行版、pp.33~39、189)。しかし、寿台はルネ・カサン案については、「名実ともに基礎文書が「人間の権利」として体裁を整えた」と評価した(22世紀アート刊行版、p.48)。それはルネ・カサンのノーベル平和賞の受賞理由と整合的である。しかし、寿台は世界人権宣言の第1条の「人間の尊厳」を検討していない。

 2012年、国際人権法学者の小坂田裕子は、「国際人権法における人間の尊厳(一)ー世界人権宣言及び国際人権規約の起草過程を中心にー」(『中京法学』第46条1・2号)を公表した。

 小坂田は、世界人権宣言の第1条の「人間の尊厳」に関するルネ・カサン案は、フランスのカトリックであるネオトミストのジャック・マリタンの思想的影響を受けていたという説を主張している。

 小坂田は、カサン案の英文テキストを寿台順誠『世界人権宣言の研究』の注(34)で参照している(2000年の日本図書刊行会版、p.52)。小坂田は寿台の先行研究も参照しているが、序章で先行研究として位置付けて検討していない(前掲「国際人権法における人間の尊厳(一)」、「はじめに」)。しかし、寿台は同宣言の第1条の「人間の尊厳」を検討していない(22世紀アート刊行版)。従って小坂田説のオリジナリティそのものは否定されない。

3.おわりに

 英語圏やフランス語圏には、ルネ・カサン研究の相当な蓄積がある。しかし、日本にはその蓄積が殆ど存在しない。恐らく小坂田の先行研究が、日本のルネ・カサン研究の一つの到達点として評価することが出来る。

 まずは海外のルネ・カサン研究の蓄積を、日本の知識界に紹介して、日本の人権研究を国際人権を巡るグローバルな議論に接続させる必要があるだろう。

 SDGsの中心的価値も人権にある。しかし、日本ではそれは「環境」問題として受容、展開される傾向がある。日本のSDGsを、「持続可能性(sustainability)」に関するグローバルな議論に接続させるためにも、それは不可欠だろう。

1. はじめに  国連のSDGsとは、2015年に国連の「持続可能なデベロップメント・サミット」で採択された「持続可能なデベ...

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