ルネ・カサンー「人権アーキテクト」の原点ー

1.はじめに

 「人権アーキテクト」の原点は、ルネ・カサンである。

 ではルネ・カサンとは?

2.ルネ・カサン(1887~1976)

 法律学者であり国際主義者であったルネ・サミュエル・カサンは、1948年に国連が採択した世界人権宣言の最も重要な起草者であった。(中略)

 ルネ・カサンは、1887年10月5日、フランス南部のベイヨンヌでユダヤ人商人ヘンリー・カサンとその妻、ガブリエル・ドレフュスの間に生まれた。彼は、パリのエクサン・プロバンスで、法学、経済学、政治学、文学を学び、1914年に学位を取得した。(中略)

 彼は徴兵によってフランスの歩兵隊に入れられ、1916年まで務めたが、その年の榴散弾で重傷を負ったため除隊した。

 戦後、カサンは、法曹の道を歩み始め、1929年にはパリ大学の法律学の教授になった。その前後、1924年から38年まで、国際連盟のフランス代表を務めた。(中略)

 第二次大戦の初期にフランスが、侵攻してきたドイツ軍に降伏したとき、カサンは、シャルル・ドゴール将軍に従って最初にロンドンに渡った民間人のひとりだった。そこで、彼は、ドゴールの「自由フランス」亡命政府のメンバーになった。ドイツの敗北後は、フランスに戻り、フランスの最高位の行政裁判所の長官な任じられた。また、国際的な人道活動にも身を投じた。1944年のユネスコ創設者のひとりとして、54年までユネスコのフランス代表を務めた。

 46年から68年まで国連のフランス代表団のメンバーとして国連人権委員会に出席した。彼が人権に対する最も大きな永続的な貢献を残したのが、この委員会である。エレノア・ルーズベルト委員長の下で働きながら、カサンは、世界人権宣言の起草に携わった。(中略)

 世界人権宣言は、1948年12月10日、国連総会で正式に採択されたが、カサンは、その後の18年間を費やして、実効的な実施措置と執行規定によってこの宣言に法的拘束力を持たせるべくロビー活動を続けた。(中略)

 1968年、カサンは、自身の50年以上にわたる生涯を、平和、正義、人権に捧げたことが認められ、ノーベル平和賞を受賞した。(中略)

 カサンは、1976年2月20日、パリでその生涯を終えた。

「ルネ・カサン」、ヒラリー・プール[梅田徹訳]『ハンドブック 世界の人権』明石書店、2001年。

3.おわりに

 ルネ・カサンは、「人権アーキテクト」の原点である。しかし、日本では余り認知されていない。

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