1.はじめに
1948年、国連は世界人権宣言を採択した。その後、国連は国際人権条約を発展させた。
米ソ冷戦後の1993年、国連は世界人権会議で「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の普遍性、相互不可分性、相互依存性、相互関連性を(再)確認した。国連は「人権教育のための国連の10年」の後、現在、「人権教育のための世界計画」に取り組んでいる。
日本政府、特に外務省は国連では積極的に人権外交を展開している。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/kyoiku/index.html
グローバル宗教も、国際人権にコミットしている場合もある。例えば、バチカンである。
では国際人権へのバチカンのコミットは、日本にどのように影響を与えたのか? 特に日本のカトリックの場合。
2.「人権教育のための国連の10年」(1995年~2004年)以降における日本政府の人権政策
1995年、閣議決定により、内閣総理大臣を本部長とする「人権教育のための国連10年推進本部」設置。
1996年、「人権擁護施策推進法」。
1997年、「「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画」。
同年、「人権擁護推進審議会」設置。
1999年、「人権擁護推進審議会答申」。
国民一人一人において、個々の人権課題に関して正しく理解し、物事を合理的に判断する心構えが十分に備わっているとは言えないことが、それぞれの課題で問題となっている差別や偏見につながっているという側面もある。
2000年、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」。
2002年、「人権教育・啓発に関する基本計画(第一次)」。
2003年、文部科学省、「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」設立。
2008年、同調査研究会議、「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」。
2020年、「「ビジネスと人権」に関する行動計画」。
2025年、「人権教育・啓発に関する基本計画(第二次)」。
2026年段階では、日本政府の人権政策には「限界」もある。
3.国際人権へのバチカンのコミットの日本のカトリックへの影響
1960年代、バチカンは教会の「現代化」を目指した。その際、国際人権にもコミットした。
日本のカトリックも表面的な改革を推進した。しかし、『キリスト教史』の著者は、日本のカトリックの場合、基本的に精神的な「現代化」には「失敗」したと評価した。
公会議によって決定された諸分野に応じて日本司教協議会内にも新たに次の司教委員会が設置された。一九六四年の典礼をはじめ教理、広報、教会一致運動の各司教委員会が一九六六年に設置され、さらに諸宗教、無宗教連絡室も設けられた。従来の信徒使徒職部も一九六六司教委員会となった。 典礼委員会は、長江恵司教委員会長の指導のもとにミサ式文の邦訳、朗読用聖書の邦訳、教会の祈り作成を行い、対面ミサのできるようにいちはやく祭壇の改革も始めた。また、各教区には新たに司祭評議会、司牧評議会、信徒使徒職評議会も設置された。このように目に見える一大変化が日本の教会に見られるようになったが、その改善ないし改革、あるいは新たな機関の設置の理由および目的の啓蒙とその育成は不十分であったといえよう。なぜ改革されなければならないのかということが十分に司牧者自身にも納得されないまま現実に変化する実践に移ったため、その内容の真の理解には相当の時間を要し、また信徒のあいだでの混乱も大きかった。一度試験的に試みられた事柄は、ほとんど改善する余地のないほどに習慣となってしまう。この説明の不十分さは、現在にまでその余韻を残している。
ヨセフ・ハヤール他[上智大学中世思想研究所翻訳/監修]『キリスト教史』第11巻(現代に生きる教会)平凡ライブラリー、1997年、420~421。
一説によれば、1970年代後半から1980年代後半、(自分で意識化した訳ではなく)日本の教会から「現代化」の視点から日本のカトリック系学校は批判され(良心の呵責ではなく他者に指摘されてはじめて)、教育使徒職の修道者等はアイデンティティの危機に陥った(退職、棄教等という選択肢もあった)。
(日本のカトリック系学校が――引用者による注)実際に「富める者のための学校」となっている以上、第2ヴァティカン公会議をとおして基本姿勢の転換を図った現代の教会の方針にそぐわない。なぜなら、この姿勢転換とは、福音を「時のしるし」のもとに読み直して、「貧しい人を優先させる」という方針に切り替えたものだから、と攻めたてられる。こうして、福音にもとづいて始められたはずの教育使徒職が福音の名において批判され非難されるという、悲しくゆゆしい事態に陥った。
高祖敏明「カトリック学校の役割の再発見―二一世紀に向けての魅力ある学校づくり―」、『カトリック教育研究』第12号、1995年、p.6。
1987年、第1回福音宣教推進全国会議(NICE1)の開催。
1988年、日本カトリック司教団『ともに喜びをもって生きよう―第1回福音宣教推進全国会議にこたえて―』。しかし、同文書では「人権」というタームは使用されていない。
1993年、第2回福音宣教推進全国会議(NICE2)の開催。
同年、高祖は、2代の皇太子妃がカトリック系学校出身である点を「誇り」と知覚し、関係者も同様と知覚した。
皇太子妃が2代続けて、カトリック学校に学んだ女性から選ばれた。マスコミ報道によれば、そのためカトリック教育に世間が改めて注目しているという。母校に連なる直接の関係者でなくても、カトリック学校にゆかりのある人の中には、まるで自分のことのように誇りに思い、喜びを感じている人も少なくないであろう。
高祖敏明「カトリック女子教育のアイデンティティー―二重の混乱と最近の再構築の試みを中心に―」、『カトリック女子教育研究』第2号、カトリック女子教育研究所、1993年、p.1。
1996年、高祖は、当時のカトリック系学校改革を次のように評価した。
こうしてカトリック学校がそれぞれの置かれた場と状況のなかで、真に「福音の光を伝える」ものとなるべく、平和教育、開発教育、環境教育などの今日的課題をも視野に収めたアイデンティティの確立とその具体化に取り組んでいるのが現状である。
高祖敏明「カトリック学校」、『カトリック大事典』第Ⅰ巻、研究社、1996年。
「など」もあるが「人権教育」にウェイトが無いことが確認出来る。
しかし、次のように世界人権宣言の「教育への権利」の「教育」の場合、「人権教育」が不可欠な構成要素である。
Article 26
Education shall be directed to the full development of the human personality and to the strengthening of respect for human rights and fundamental freedoms. It shall promote understanding, tolerance and friendship among all nations, racial or religious groups, and shall further the activities of the United Nations for the maintenance of peace.
https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
1990年代、東京教区生涯養成委員会内に第二バチカン公会議連続講演会チームが発足した。
1997年6月29日、東京教区教会委員会総会で、白柳誠一枢機卿(当時)は、次のように第二バチカン公会議以降に歩む道を提示した。
皆さんに強調したいのは、まず、第二バチカン公会議の精神をモノにし、そのうえで、次の時代に入っていただきたい。公会議が目指した本質そのものをしっかり捉えないと、混乱を招くだけになります。公会議を理解し、自分のものにしていくことが必要です。
カトリック東京教区生涯養成委員会編『講演集 第二バチカン公会議と私たちの歩む道』サンパウロ、1998年。
1997年6月~同年11月、連続講演会の開催。同チームの南條俊二(小金井教会所属[当時])は、同講演会は「異例ともいえる盛況」だったと評価した(カトリック東京教区生涯養成委員会編『講演集 第二バチカン公会議と私たちの歩む道』サンパウロ、1998年、p.184)。
同講演会に参加したある小教区の信徒は、次のように1990年代でも「余韻」が高度に残存していることを証言した。
私たちの小教区には「ロザリオ、焼肉、バザー」のムードがあります。若い人も教会に来ますが、この三つを発展させていこうというムードしかない。私が公会議の文書などを持っていると変人扱いされてします。主任司祭と衝突すると、他の信者に「司祭とぶつかるのはよくない」とたしなめられる。
カトリック東京教区生涯養成委員会編『講演集 第二バチカン公会議と私たちの歩む道』サンパウロ、1998年、p.56。
2001年、日本カトリック司教団『いのちへのまなざし―二十一世紀への司教団メッセージ―』。
2017年、同『いのちへのまなざし【増補新版】』。2001年版と2017年版を比較すると、後者には人権への言及が確認出来る。2017年版では、次のように「平和」の基礎としての国連の世界人権宣言の意義が正確に理解されている。
世界人権宣言は、第二次世界大戦が終結している間もない一九四八年十二月十日の、第三回国連総会で採択されました。大きな戦争の後の早い段階で、平和宣言や不戦宣言ではなく人権宣言が出されたことには、差別をなくし、すべての人の人権を確立することこそが平和につながるという基本精神がよく表れています。
日本カトリック司教団『いのちへのまなざし【増補新版】』カトリック中央協議会、2017年、p.146。
2024年、日本カトリック司教団は『見よ、それはきわめてよかった―総合的なエコロジーへの招き―』で、フランシスコ『ラウダート・シ』を参照して「共通善」としての人権を紹介した。
『ラウダート・シ』を「社会教説」と位置づける(LS15参照)教皇は、人間の刷新という基本課題を取り上げ、人は皆かけがいのない一己の人格であるゆえにその基本的人権が保障されるべきであり、またそうした人権保障を可能にする共通善が追求されるべきであると訴えています。
日本カトリック司教団『見よ、それはきわめてよかった―総合的なエコロジーへの招き―』カトリック中央協議会、2024年、p.39。
4.おわりに
バチカンは「現代化」した。しかし、バチカンは日本のカトリックの件は日本のカトリック中央評議会に委ねているので、バチカンも直接介入出来ない。
基本的に日本のカトリックは、精神的な「現代化」に「失敗」した。1997年段階では恐らく東京大司教区の小教区は完全に「現代化」以前だった。また、カトリック系学校には、国際人権基準の「教育」が存在しなかった可能性がある。
現在、日本でもカトリック司教団は、信徒を人権も含む「現代化」へオリエンテーションしている。しかし、その効果は不明である。2010年代、カトリック信徒の学校教育関係者の一人は、日本のカトリックは「信仰(宗教)」ではなく「生活習慣」であると指摘した。
そうすると人権としての「信教/宗教の自由」ではなく「生活習慣の自由」になる。「生活習慣」は、社会学者のピエール・ブルデューが提示した「ハビトゥス(知覚・評価システム)」の問題である。
現在の「カルト」の辞書・事典的定義は、「人権と両立しない宗教」である。それは一つにはユネスコ基準の「文化的多様性」ではない宗教でもある。