1.はじめに
国連の世界人権宣言の人権の基礎は、第1条では「人間の尊厳」として規定されている。
https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
同宣言の第1条の起草者は、1968年にノーベル平和賞を受賞したルネ・カサンである。
他方、日本国憲法の人権の基礎は「個人の尊重」である。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm
憲法に副署したカトリックの国際法学者の田中耕太郎は、国連憲章や世界人権宣言と日本国憲法の人権の基礎の共通性説を主張したと指摘されている。しかし、日本では「人権=エゴイズム(自己中心主義」説がある。
では人権の基礎としての「個人の尊重」の基礎付けとは? 選択肢の一つは「人格主義」か?
2.人権の基礎としての「個人の尊重」の基礎付けー「人格主義」を巡ってー
田中は人格主義者のクエーカー新渡戸稲造の弟子である。新渡戸は教育者、国際連盟事務局次長、ユネスコの前身である知的協力委員会の創設メンバーの一人等である。新渡戸は所謂「大正教養主義」の系譜に属す。「大正教養主義」には、三つの系譜がある。
①哲学者のケーベルと夏目漱石の系譜。
②新渡戸や内村鑑三のプロテスタントの系譜(南原繁、矢内原忠雄、田中耕太郎、河合栄次郎、前田多門、森戸辰男、高木八尺、鶴見祐輔等)。
③(ケーベルや)岩下壮一や吉満義彦等のカトリックの系譜(カトリック作家の遠藤周作)。
しかし、三つの系譜は完全に独立している訳ではなく、相互依存的でもある。
1960年代以降、プロテスタントの思想史研究者の武田清子は、「新渡戸稲造=戦後民主主義(教育)の源流」説を主張した(武田清子「教育者としての新渡戸稲造 : 新渡戸稲造の研究(その1)」、『国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 』第7号、1960年12月)。その背景には、当時の憲法改正の動向があった。文脈的には武田は、「憲法=押し付け」説を批判して歴史的に憲法を正当化しようとしたと評価出来る。
武田は冷戦後、国連の世界人権会議以後の1995年でも同説を主張した(「伝統的価値の革新と戦後デモクラシーー新渡戸稲造の教育思想ー」、武田清子『戦後デモクラシーの源流』岩波書店、1995年)。
しかし、対照的に評論家の鶴見俊輔は、「新渡戸稲造=全体主義、超国家主義、軍国主義の源流」説を主張した(鶴見俊輔「日本の折衷主義ー新渡戸稲造論ー」、『近代日本思想史素講座』第8巻、筑摩書房、1965年)。鶴見は新渡戸の関係者の一人である。鶴見の父親は、新渡戸の「愛弟子」とされる鶴見祐輔である。恐らく鶴見の同説には、大政翼賛会会長等を務めた鶴見祐輔批判としての側面がある。実際、以前直接会った際、鶴見自身も筆者にそのように証言していた。
その結果、新渡戸評価は正反対に分裂した。恐らく現在もその分裂は継続している。客観的に新渡戸の評価は難しい。特に1931年の満州事変への新渡戸のスタンスは論争的である。満州事変は緒方貞子も近代日本のターニングポイントとして、カルフォルニア大学バークレー校に提出した博士論文で取り上げた出来事である(緒方貞子『満州事変ー政策の形成過程ー』岩波現代文庫、2011年)。
新渡戸はアメリカやカナダで満州事変を擁護するキャンペーンを展開した。その結果、新渡戸はアメリカ等で「偽者のリベラリスト」と評価された(「その二、満州事変後の新渡戸稲造」、太田雄三『<太平洋の橋>としての新渡戸稲造』みすず書房、1986年)。
武田は「人格主義的、自由主義的な教育思想の系譜」に新渡戸を分類した(武田、前掲『戦後デモクラシーの源流』、pp.60~65)。恐らく新渡戸が人格主義者だったことは、「客観的真理」(ユネスコ憲章)だろう。https://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm
しかし、現段階では、田中は新渡戸の「人格主義」を継承して、憲法をそれによって基礎付けたのかは不明である。
他方、1955年の自由民主党の「結党宣言」では、「個人の尊厳」ではなく「人格の尊厳」が「社会秩序の基本的条件」とされている。
われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。
https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/
同党の「人格の尊厳」の重視は、「人格主義」のバリエーションの一つである。「大正教養主義」との思想的関係は不明である。また、現在の自民党も「人格主義」を「社会秩序の基本的条件」とする立場に立っているかは不明である。
憲法の人権の基礎の「個人の尊重」を、「人格主義」によって基礎付けることによって「人格の尊厳」へ変換することも一つの選択肢である。「人間の尊厳」と「人格の尊厳」が互換的で整合的である場合、「国際慣習法」である世界人権宣言等の国際人権法の基礎と憲法の基本的人権の基礎を互換的で整合的なものにすることが出来る。
3.おわりに
憲法の人権の基礎である「個人の尊重=個人主義」が「エゴイズム」になり、「人間の尊厳」や「人格の尊厳」の相互尊重が成立しない場合、それを「人格主義」で基礎付けることも選択肢の一つである。