1.はじめに
日本では、国連の国際人権法の展開による国家の人権の尊重・保護・促進義務の十分に理解されていない。尊重とは国家が人権を侵害しないこと、保護とは第三者による侵害を防止すること、促進とは積極的に人権を実現することである。
十分に理由されていない原因としては、人権研究の専門分化による人権知の細分化、裁判所が国際人基準を採用していないこと等がある。
憲法学では「国家権力からの自由」としての自由権が重視する。国際人権法学では自由権を重視した上で、国家の人権の尊重・保護・促進の義務も重視する。
1980年代以降、国連の国際人権法は展開し、国家の義務も重視され始めた。しかし、日本ではこの過程は「知識人」でも余り認知されていない可能性がある。
それを受けてその過程をラフスケッチする。
2.国連の国際人権法の展開ーラフスケッチー
(1)国際人権法の基礎の形成
1948年、国連は世界人権宣言を採択した。
米ソ冷戦期の1966年、国際人権規約(自由権規約+社会権規約)を採択した。自由権規約には選択的に国家通報と個人通報も置かれた。しかし、社会権規約には国連経済社会理事会への報告制度のみだった。個人通報手続は準司法的手続きであるが、報告制度は非司法手続きである。準司法的手続きとは、裁判所ではないが条約機関が、当事者と当事国双方の主張に基づき事実を認定し法的判断を下すという意味である。
1976年、両規約は発効した。
その後、国連では社会権規約選択議定書も採択された。
(2)国際人権規約の二分論の克服と国家義務論の形成
1980年代以降、自由権規約委員会と社会権規約委員会により、両規約を全く対照的なものとする図式的な人権二分論が是正され始めた。
1980年代後半以降、有力な国際人権法学者のオルストンのリードにより社会権規約委員会は、国際的実施体制の見直しが具体化した。同委員会は、アイデ等の国際人権法学者を招き、尊重・保護・促進という国家の多面的義務の枠組みを検討し、締約国の義務違反を認定する可能性の議論から、選択議定書による個人通報制度の設置の可能性が提示された。
(3)冷戦後の人権の普遍性・相互不可分性等の確認
米ソ冷戦終結後の1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性、相互不可分性、相互依存性等を確認した。この確認は、自由権偏重の現実に対して重要だった。
1995年、「人権教育のための国連の10年」がスタート。
2000年、「人権教育のための世界計画」がスタート。日本の外務省も積極的にコミットしている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/kyoiku/index.html
(4)2010年代以降の個人通報手続の一般化
2011年、子どもの権利条約にも、個人通報手続に関する選択議定書が採択された。これにより9つの国際人権条約に個人通報手続が全て具備された。
3.日本の課題
総じて、欧州や南米諸国、オセアニア諸国、カナダなどが積極的である一方、日本を含むアジア諸国、そして米国、次いでアフリカ諸国が消極的であることが見て取れる。(中略)日本のように手続の受け入れ自体を国が拒み続けている状況はそれ(手続周知程度、言語問題、協力する法律家の存在等――引用者による注)以前の問題であり、人権条約を真の意味で――つまり、人権主体たる個人の観点からも――実施しようという政治的意志の欠如を示すものである。(中略)個人通報手続が導入されれば、国内救済を尽くした個人が人権条約機関に通報する道が開かれるが、そうなれば裁判所も人権条約の適用に正面から取り組まざるを得ず、最高裁も、国際的な議論に耐えうる人権判断を迫られる。制度的には、条約違反が上告理由となっていない現行の訴訟法も改めなければならない。
申惠丰「国連人権条約における個人通報手続の一般化」、『新国際人権法講座』第4巻、信山社、2024年、pp193~194。
日本の課題・・・
①個人通報手続の批准。
②国際人権基準の国内の司法判断。
③「パリ原則」に対応した独立した国内人権救済機関の設立。
これらは相互に関連している。個人通報手続が導入されれば司法判断が国際基準に接続され、国内人権機関の役割も明確になる。逆に、いずれか一つが欠けると、国際人権法の実施体制全体が十分に機能しない。
4.おわりに
国家の人権の尊重・保護・促進義務については、憲法学と国際人権法学では立場が違うかも知れない。しかし、国際人権法学会は憲法学も含めて国際人権法の学際的研究を目指している。
日本の課題も重要である。申も指摘するように、市民社会が課題を理解して、政府に要求することも重要である。
<参考文献>
申惠丰「国連人権条約における個人通報手続の一般化」、『新国際人権法講座』第4巻、信山社、2024年。