(国際)人権の価値低落に対する応答策ーリベラル派政治哲学者のエイミー・ガットマンの場合ー

1.はじめに

 1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性を(再)確認し、人権政策を展開した。

1.はじめに  国際人権に対する国連の人権政策を人権教育政策を中心に説明する。 2.世界人権宣言(1948年)ー国際人権の「原...

 他方、(国際)人権は価値低落もしている。例えば、ロシア等の侵略主義、アメリカ等の権威主義国家、ヨーロッパやラテンアメリカ等での極右政党等の台頭である。アメリカの場合、それは遅くとも2000年まで遡ることが出来る。

 ではどう応答するべきか? アメリカのリベラル派政治哲学者のエイミー・ガットマン・プリンストン大学・ヒューマン・ヴァリューズ・センター初代所長の場合とは?

2.(国際)人権の価値低落

 2000年4月4日から7日、同センターでは「人間の価値観に関するターナー講義」が開催された。同講義録は『政治と偶像としての人権』(邦題=『人権の政治学』)(2001年)である。同講義録の編者であるガットマンはその「序」で、人権のリストの増殖による人権の価値低落の招来を次のように指摘した。   

 人権は、基本的な主体的行為能力やニーズや人格の尊厳を保護するためには明らかに必要ではないような権利までも抱え込んで増殖している。そして、そのことが人権の目的の価値低落を招いており、それにしたがって、本来なら人権を実現しようとする側に立つ人びとに二の足を踏ませることになっているのである。

エイミー・ガットマン編[添谷育志+金田耕一訳]『人権の政治学』風行社、2006年、p.6。

3.世界人権宣言第1条への回帰

 その上でガットマンは、「未完の権利革命にむけての、多くの人びとが受け容れることができる数多くのはじまり」として世界人権宣言第1条を再重視した。

 世界人権宣言第一条の言葉を使えば、そのような人びとを「理性および良心を授けられた」存在として尊敬していることを表現しているのだ。人間の尊厳、主体的行為能力、平等、自由、同胞愛に対する尊敬は、すべて第一条に包含されている。起草された時点においても、それ以後の解釈においても、第一条は単一の見解を表明されているのではなく、結論がまだみえていない未完の権利革命にむけての、多くの人びとが受け容れることができる数多くのはじまりを表明しているのである。

同上書、pp.30~31。

4.おわりに

 (国際)人権の価値低落に対しガットマンは、世界人権宣言第1条への回帰を提案した。

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