1.はじめに
1948年、国連は世界人権宣言を採択した。米ソ冷戦後の1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性等を(再)確認した。
世界人権宣言は普遍主義的「人間」観に立つ。人権は「人間」を前提にする。「教育」は「ヒューマン・パーソナリティ」を前提にする。世界人権宣言に対して「ヒューマン・パーソナリティ」は重要な位置にある。
では「ヒューマン・パーソナリティ」とは? 同宣言第1条、第26条、第29条の中での「ヒューマン・パーソナリティ」の位置とは?
2.世界人権宣言第1条ー「人間」とは?ー
すべての人間(All human beings)は、生まれながらにしてフリーであり、かつ、尊厳と権利とにおいて平等である。人間は理性(reason)と良心(conscience)とを授けられており、互いに友愛の精神(a spirit of brotherhood)をもって行動しなければならない
https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
①人間(All human beings)のフリーダムと尊厳と権利の平等。
②普遍主義的「人間」観。
普遍主義的「人間(human being)」とは、主/客、真/偽、自/他を「理性」で識別して、善/悪を「良心」で識別して、「友愛の精神」をもって共生、共存する存在である。
出生後の人間は、このような「人間」ではない場合、このような「人間」にする「教育」が必要になる。「教育」には、他者による「教育」と自己による「教育」がある。
3.世界人権宣言第26条「教育への権利」ー「教育」とは?ー
2. 教育(Education)とは、ヒューマン・パーソナリティ(human personality)の十全な発達(full development)並びに、人権及び基本的フリーダムのリスペクトの強化を指向するものとする。教育は、すべての国民の間及び人種的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好(friendship)を促進し、並びに、平和の維持のための国際連合の活動を推進するものとする。
https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
「教育」とは?
①「ヒューマン・パーソナリティ(human personality)の十全な発達(full development)」を指向するもの。
②「人権及び基本的フリーダムのリスペクトの強化」を指向するもの。
第1条を前提にすれば、「ヒューマン・パーソナリティ」の「ヒューマン」とは普遍主義的「人間」観の「人間」である。その「人間」は、理性と良心と友愛の精神を持つ存在である。「ヒューマン・パーソナリティ(human personality)の十全な発達(full development)」とは、理性と良心と友愛の精神の十全な発達である。
「教育」はニーチェがいう「ルサンチマン」と対立する。
「ルサンチマン」とは?
道徳における奴隷一揆は、ルサンチマン(怨念 Ressentiment)そのものが創造的となり、価値を生み出すようになったときにはじめて起こる。
フリードリッヒ・ニーチェ[信太正三訳]『ニーチェ全集Ⅱ 善悪の彼岸 道徳の系譜』ちくま学芸文庫、1993年、p.393。
この地上で<高貴な者>・<権勢家>・<支配者>・<権力者>に歯向かってなされたいかなることも、ユダヤ人がこれらの者に反抗してやらかしたことに比べれば、言うにもたりないものである。僧侶的民族であるあのユダヤ人は、おのれの敵対者や制圧者に仕返しするのに、結局はただこれらの者の諸価値を徹底的な価値転換によってのみ、すなわちもっとも精神的な復讐という一所業によってのみやらかすことを心得ていた。
同上書、p.388。
「ルサンチマン」とは、「怨念」を基礎にした「諸価値の徹底的価値転換」による「強者」への「復讐」である。諸価値が徹底的に価値転換されれば、理性や良識による価値の識別は転倒し、「友愛の精神」も転倒する。それは「教育」の破壊である。「教育」の破壊は、「ヒューマン・パーソナリティ」の十全な発達の破壊である。
「ヒューマン・パーソナリティ」の十全な発達の破壊は、普遍主義的「人間」観の「人間」の破壊である。その破壊は、人権が前提にする「人間」観の破壊である。その結果、人権も破壊される。このように「ルサンチマン」は、人権の前提と人権そのものを破壊する。
4.世界人権宣言第29条ー人権の相互尊重や「公共的秩序」等とは?ー
1. 全ての者は、パーソナリティを可能な限りフリーで十全に発達(development)出来るコミュニティにだけ義務(duties)を負う。
2. 全ての者は、自己の権利及びフリーダムズの行使に当たって、他の者の権利及びフリーダムの正当な承認(recognition)及びリスペクトを確保すること並びに、民主社会の道徳(morality)、公共的秩序(public order)及び一般的福祉(general welfare)の正当な要求を満たすことを専ら目的として法により定められた制限にのみ服する
3. これらの権利とフリーダムズは、国連の目的と原理に反す場合は行使出来ない
https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html
「パーソナリティを可能な限りフリーで十全に発達(development)出来る」の「パーソナリティ」は、「ヒューマン・パーソナリティ」ではない。しかし、「パーソナリティ」には「ヒューマン・パーソナリティ」も含まれる。
「パーソナリティ」とは?
①「ヒューマン・パーソナリティ」。
②非「ヒューマン・パーソナリティ」。
②は恐らく義務教育以上の 「パーソナリティ」である。義務教育は、「ヒューマン・パーソナリティ」を十全に発達させる基礎的、初等的教育の強制である。それは人権の前提にある「人間」化の強制である。
恐らく義務教育以降は、人間は「パーソナリティ」は、必ずしも「ヒューマン・パーソナリティ」に限定されずに十全に発達出来る。
全ての者が「自己の権利及びフリーダムズの行使に当たって、他の者の権利及びフリーダムの正当な承認(recognition)及びリスペクトを確保する」ためには、「教育」の強制が必要である。「教育」を強制しないと、「他の者の権利及びフリーダムの正当な承認及びリスペクト」を確保して人権を行使せず、合理的に濫用することになる。そのような人権の濫用は制限する必要がある。
以上のように第1条と第26条と第29条は密接な関係がある。恐らくこれら三条が無ければ、人権の理念は実現しない。人権の理念を実現するには、三条を保障して実現する必要がある。その意味で世界人権宣言の中でも、プライオリティが高い条文であると評価出来る。
5.おわりに
「ルサンチマン」は「教育」を破壊する。「教育」の破壊は、「ヒューマン・パーソナリティ」の破壊でもある。それは「人間」の破壊である。「人間」の破壊は、人権の破壊である。「ヒューマン・パーソナリティ」の破壊は、人権の相互尊重や「公共的秩序」を破壊する。その結果、人権は完全に破壊される。
例えば、日常生活では、「表現のフリーダム(自由)」の行使が抑圧され沈黙を余儀なくされたり、SNSで「表現のフリーダム」が濫用された場合、自殺者が現れたりする。