1. はじめに
今、日本で何が「問題」なのか? それを包括的に整理するとどうなるのか?
この問題は、アクチュアルな重要な問いである。
米ソ冷戦期には、「問題状況」は左右に「偏向」したイデオロギーで理解され、提示された。そうすると「偏向」して理解された「問題」の解決策も左右ともにミスリードだった可能性もある。
事実の場合、最も重要な課題は、日本の「問題状況」を客観的に科学的に理解した上で、「問題状況」を解決するアプローチを提示することである。その「理解」が「誤認」である場合、「問題」を解決するアプローチも誤りになる。
そうすると果てしなく「日本国民」は矛盾した「問題状況」から「解放」されず、苦しむことになる。事実の場合、「問題状況」を客観的に科学的に認識した上で、「問題」解決のアプローチを考察する必要がある。
2. 左右の「イデオロギー」対立を超越した日本の「問題状況」理解の必要に
左右の「イデオロギー」による「問題状況」の認識とその解決するアプローチには、差異があり、対立もある。「イデオロギー」研究者のカール・マンハイムによれば、「イデオロギー」とは「存在被拘束性」である。それは「存在」によって「考えていること」等の「象徴」は拘束され、客観的、科学的真理に到達しないという説である。
そうすると日本の冷戦期の左右対立も、相違する「イデオロギー」の対立だったことになる。それは人間の「存在」の対立でもある。
「イデオロギー」対立は、「真理」を巡る対立ではない。基本的に「存在」の対立でしかない。
そうすると「イデオロギー」対立を超越した、日本の「問題状況」理解が切実に必要になる。
3. おわりに
日本の「問題状況」を客観的に認識、評価しなければ、妥当性がある「問題」を解決するアプローチを提示するのは難しい。
その場合、日本の「問題状況」を客観的に認識、評価する必要がある。
それが正当性、妥当性がある「問題」解決アプローチの大前提である。