国際人権に対する東大進学者の「準神経症」問題(1988年)の位置

1.はじめに

 冷戦終結後の1993年、国際は世界人権会議で人権の普遍性を(再)確認し、その後人権政策を展開している。

1.はじめに  国際人権に対する国連の人権政策を人権教育政策を中心に説明する。 2.世界人権宣言(1948年)ー国際人権の「原...

 その5年前の1988年、東大進学者の「準神経症」問題が公開された。

 国際人権に対するその位置とは?

2.東大進学者の「準神経症」問題(1988年)

 冷戦終結の1年前の1988年、新聞紙上で遠藤康夫東大保健センター長(内科)と山田和夫同大保健センター副長(精神科)との対談が掲載され、東大進学者の「準神経症」問題が公表された。

 今問題になっているのは(中略)神経症というよりも準神経症、パラノイローゼといったものです。(中略)端的に言うと、それは受験勉強の時間が長すぎたからなんです。(中略)多分彼らの大学入学以前の自信の中核は勉強ができるという点にあったのでしょう。ところが東大ではそれが相対化されてしまって支えにならない。そして、その自信を喪失したところへ何かひき金があると、無気力に、つまりアパシー退却をしてしまう。(中略)「卒論アパシー」というのがあるんですよ。(中略)これとならんで「ふれあい恐怖」というのがあるんですよ。例えばゼミとかで、授業中は熱心に参加できるんだけれどもその後の雑談やコンパは苦手だという。(中略)孤立してしまうケースとしては地方の秀才が一番危ない。

「対談 憂鬱な東大生」、『東京大学新聞』第1578号、1988年4月5日。

 「準神経症」の特徴・・・

 ①原因・・・長期間の受験勉強。

 ②症状・・・自信喪失、無気力、アパシー退却、「ふれあい恐怖」。

 ③自信喪失のメカニズム・・・東大進学以前の自分は勉強ができるという自己像が相対化され、自信の基礎にならなくなること。

 ④孤立化のハードケース・・・「地方の秀才」。

3.おわりに

 以前は「人間」「疎外」として表現されて来た。1960年代以降では発達心理学的に「アイデンティティ・クライシス」と表現されて来た。1988年になると内科的、精神科的に「準神経症」として表現された。

 7年後の1995年、オウム真理教事件

1.はじめに  1993年、国連は世界人権会議を採択し、「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の普遍性、相互不可分性、相互依存性...

 現在はどう表現されているのか?

 「安全」問題への展開?

1.はじめに  冷戦終結後の1993年、国連は世界人権会議を開催し「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の普遍性を確認した。国連...

 国際人権に対する「準神経症」問題の位置・・・

 ①国際人権基準の「教育」の不足。

 ②国際人権基準の「教育」と当時の進学校や塾・予備校等の教育の不一致。

 ③国際人権基準の「義務」「初等」「基礎」「教育」の強制の必要?

 

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