1.はじめに
1993年、国連は世界人権会議を採択し、「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の普遍性、相互不可分性、相互依存性、相互関連性を(再)確認した。1994年、国連は懸案事項だった人権高等弁務官を漸く設立した。1995年、国連は「人権教育のための国連の10年」、2005年、「人権教育のための世界計画」をスタートした。
他方、それに先行する1989年、東大進学者の「準神経症」問題が新聞で公開され顕在化した。
しかし、その問題には前史と後史もある。恐らく後史の構成要素の一つには、1995年のオウム真理教事件もある。
本稿では同事件後の1998年における経済学者の宇沢弘文の「公教育制度」認識を確認する。
2.経済学者の日本の「公教育制度」認識
日本の教育は今、全面的危機といってよい状況におかれています。(中略)日本中いたるところで、日本の初等中等教育制度の矛盾が大事な子どもたちを犠牲にしています。
宇沢弘文『日本の教育を考える』岩波新書、1998年、p.1。
日本の高等教育制度もまた多くの矛盾をはらみ、日本の将来を極端に暗い、陰鬱なものとしています。オウム真理教という宗教団体に入って、史上まれにみる残虐で、陰惨な犯罪行為に加担した若者たちの多くが、東京大学、京都大学、慶応義塾大学をはじめとして、かつては、この国の中心的な、主導的役割をはたしてきた大学の学生であるという事実ほど私たちの心を痛めるものはありません。
同上書、pp.1~2。
日本社会のおかれている状況は、その深刻さ、及ぼす範囲の広さという点から、ヴェトナム戦争下のアメリカ社会に比較する術もありません。しかし、日本の経済・社会を構成する基本的なファイバーの中心がぼろぼろになって、倫理的規範が崩壊し、社会的靭帯が損壊しつつあるのではないかという危惧をもたざるを得ません。このことは、日本における学校教育制度の全般的危機となって現れています。
同上書、pp.2~3。
3.おわりに
1995年から国連は「人権教育のための国連の10年」に取り組み、日本政府も応答して1997年に人権擁護推進審議会を設置した。しかし、その翌年の1998年、宇沢は日本の「公教育制度」を壊滅的な状況に陥っていると認識していた。
国際人権と宇沢の日本の「公教育制度」認識は対立する。