人権と人権の衝突の可能性ー地方社会から大都市への「移動の自由」の行使を事例にしてー

1.はじめに

 人権の行使相互の間には、相互尊重が成立する場合と成立しない場合がある。その背景には、一つには人権と、人権と整合的ではない自生的社会秩序の混在のリスクがあり得る。

 人権と整合的ではない自生的社会秩序が、人権を規範とする社会秩序に混在する場合、何が発生するのか?

 人権の相互尊重が成立しない場合では、人権と人権が「偏見」や「差別」や「人権侵害」等の発生という形で衝突する可能性もある。人権を行使する場合、「自己/他者の人権を支える社会的基盤」の間に緊張関係が生じるか? 緊張関係は「公共」が破壊される場合、深刻化する。それは人間の「苦悩」や「ルサンチマン」や「凄惨さ」ともリンクするのか?

 その場合、人権の行使は合法的に制限出来るのか? 恐らくこの問題は、「共生」や「共存」を真剣に考察する場合、回避出来ない。

 人権には「移動の自由」もある。「移動の自由」は、地方社会から大都市への人間の移動として現実化する場合がある。もし地方社会に形成された特定の自生的社会秩序が、人権規範と緊張関係に入る場合、それに適応してきた地方出身者が、大都市において「異質な他者」として認識されたり、人権という共通項が成立しないために警戒されたりして、人間同士の摩擦や衝突を発生させる可能性はあるのか?

 本稿は「移動の自由」を事例にして、人権の行使が自己や他者の人権を支える社会的基盤との間に緊張関係を生み出す可能性、更にそこから「公共」の破壊に至る可能性を示唆する。

2.法規範としての人権

 日本国憲法は、「基本的人権」を「公共の福祉」に反しないという条件付きで保障している。国連の世界人権宣言は、「人間の尊厳」の平等を規定している。その際、普遍主義的「人間」観(理性、良心、友愛の精神)が提示された。憲法では「公共の福祉」は定義されていない。しかし、世界人権宣言では、人権行使を制限し得る社会的条件が示されている。その一つは、人権行使の際の人権の相互尊重の不成立である。

 世界人権宣言第29条

 全ての者は、自己の権利及びフリーダムズの行使に当たって、他の者の権利及び自由の正当な承認(recognition)及びリスペクトを確保すること並びに、民主社会の道徳(morality)、公共的秩序(public order)及び一般的福祉(general welfare)の正当な要求を満たすことを専ら目的として法により定められた制限にのみ服する。

https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html(2026年9月11日アクセス)

 憲法では「公共の福祉」は定義されていないが、世界人権宣言第29条は、権利及び自由の行使に対する制限について、他者の権利及び自由の承認・尊重、公共的秩序、一般的福祉等を挙げている。

 憲法も、例えば、人間の「移動の自由」を「公共の福祉」に反しないという条件付きで保障している。

 憲法第22条

 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm(2026年9月11日アクセス)

 それを受けて、本稿は確立した憲法解釈ではなく、試論的に問題を提示する。

 憲法22条の「公共の福祉」を考える際に、世界人権宣言第29条が示す権利・自由の相互尊重や公共的秩序等を参照するとすれば、人権の相互尊重が成立しない場合、「移動の自由」も合法的に制限出来るのか?

 特に「人間の尊厳」の平等や人権の相互尊重を破壊する場合、地方社会から大都市への人間の「移動の自由」の行使は合法的に制限出来るか?

3.事実の複数性ー幾つかのサンプルー

(1)英語学者の渡部昇一の場合

 1930年、山形県鶴岡市出身。その後、東京都の上智大学へ移動した。 

 四月に私だけ上京して、上智大学文学部英文科生になった。そして七月に夏休みに帰省してみると、父は職を失っていた。つまり、父はその八十四年の生涯のなかで、まともな給料を受け取った期間は約二年半くらいだ。

渡部昇一『渡部昇一の青春の読書 新装版』ワック株式会社、2018年、p.247。

 たとえば藤原紀香や松嶋奈々子は、「美しい」という理由によって何億円もの収入を稼いでいる。普通の女性、あるいは美しくない女性が、「こんな不平等なことがあっていいのか」と抗議したところで、これは仕方がない。もし「日本の女性をみんな平等にせよ」と唱えたとしても、日本の女性をすべて美女にすることは不可能である。しかし、日本の女性をすべて不美人にすることは、じつは簡単である。「女の子が生まれたら、三日以内に鼻に焼きゴテを当てるべし」という法律をつくればよいのである。これで日本中の女性はみんな平等に不美人になる。みんな美人にはできないが、みんな不美人にすることはできる。極端な例ではあるが、平等主義とはこういうものである。(中略)「平等」とは「一番悪いほうに合わせる」以外には実現し得ない。そのことを日本人ははっきりと認識すべきである。ほんとうに貧しい人に対しては当然、社会政策として最低限の救いがあってよい。ただし、その最低限は「飢えず、凍えず、雨露に当たらず、痛みをなくする程度の医療」であって、それ以上の面倒を国家が見る必要はない。「そこで諦める人はそのまま人生を送って下さい。しばらく羽を休めてから立ち上がって仕事に入る人はそれもよろしい」とするのが望ましい姿であろう。それ以上を与えれば、与えられた人間は必ず堕落する。本来平等ではあり得ないものを平等にしようというのは土台無茶な話なのである。

渡部昇一『不平等主義のすすめ―二十世紀の呪縛を超えて―』PHP研究所、2001年pp.45~47。

(2)評論家の西部邁の場合

 西部邁――評論家。一九三九(昭和十四)年三月、北海道山越郡の漁村町・長万部町に生まれる。父は浄土真宗派の末寺の末男、母は農家の末女。兄と妹四人の六人きょうだい。札幌郡厚別の信濃小学校、札幌の柏中学校、南高校に進学。

(中略)

 高校卒業までは、マルクスもレーニンもスターリンも毛沢東も知らぬノンポリの重症の吃音少年であった。五七(昭和三十二)年、東京大学の受験に落ち、翌年四月、東大教養学部(駒場)に入学、三鷹寮に入る。同年十二月に結成されたブント(共産主義者同盟)に加盟する。在学中は東大自治会委員長、全学連の中央執行委員として「六十年安保闘争」で指導的役割を果たすが、羽田事件(六十年一月十六日)で逮捕・起訴され二月末に保釈。新安保条約が自然成立した(六月十九日)のちの七月初め、全学連大会の途中で逮捕、未決拘留で投稿拘置所に収監されるが、十一月末に保釈で出所。そのときすでにブントは解体しており、翌六一(昭和三十六)年三月、左翼過激派と訣別する。それから七年、三つの裁判所を通い、その間、六四(昭和三十九)年三月、東大経済学部を卒業。

西部邁『僕と妻——寓話と化す我らの死―』飛鳥新社、2008年、p244。

(3)政治学者の岡野八代の場合

 わたしは、三重県の松阪市で生まれ育ちました。松阪牛で有名なわたしの故郷は、大学進学を機に離れてみてようやく、歴史的に作られた複雑な差別構造をもった市なのだと気づきました。それ以来、差別やアイデンティティの問題に関心を持ち、歴史的・理論的にこれらの問題を考えるために、哲学ではなく、政治思想を専門に選びました。内向的な思索ではなく、世界とのかかわりの中で、差別やアイデンティティの問題を考えたかったからです。

https://global-studies.doshisha.ac.jp/gs/faculty_members/list/okano/index.html(2024年10月9日アクセス)

 岡野は地方社会から大都市(東京都)の大学に移動して、アイデンティティについて考えるようになった。しかし、岡野の場合、「移動の自由」と人権との衝突は確認出来ない。

(4)1980年代の東大進学者の場合

 今問題になっているのは(中略)神経症というよりも準神経症、パラノイローゼといったものです。(中略)端的に言うと、それは受験勉強の時間が長すぎたからなんです。(中略)多分彼らの大学入学以前の自信の中核は勉強ができるという点にあったのでしょう。ところが東大ではそれが相対化されてしまって支えにならない。そして、その自信を喪失したところへ何かひき金があると、無気力に、つまりアパシー退却をしてしまう。(中略)孤立してしまうケースとしては地方の秀才が一番危ない。

「対談 憂鬱な東大生」、『東京大学新聞』第1578号、1988年4月5日。

 1980年代に地方社会から大都市の大学(東大)へ移動した人間(学生)は孤立し、「準神経症」等の状態に陥ることが問題として認識されていた。しかし、人権と「移動の自由」の衝突は確認出来ない。

4.おわりに

 人権と人権は衝突する可能性もある。その場合、その衝突をどこまで法的に承認し、どこから法的に調整するのか?

 特に人権と地方社会から大都市への人間の「移動の自由」の行使は、衝突する可能性がある。その可能性とは、「自己/他者の人権を支える社会的基盤」の間の緊張関係の発生から「公共」の破壊の可能性までの幅がある。それは現実化する場合もある。

 その場合、日本国内で人間の「移動の自由」の行使は合法的に制限出来るのか?

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