人権政策の展開による日本国内の自生的秩序への人権基準の適用ー“vulnerable groups”の明確化?ー

1.はじめに

 人権政策の展開による日本国内の自生的秩序への人権基準の適用は、人権基準を基礎とした場、“vulnerable groups”も明確化するのか? 可視化は顕在化でもあるか?

 1993年、国連は世界人権会議を開催して「ウィーン宣言及び行動計画」を採択して、人権の普遍性、相互不可分性、相互依存性、相互関連性を(再)確認した。その際、「パリ宣言」も承認した。また、その後、国際人権条約に個人通報制度を搭載し始め、現在は国連のレベルでは完了している。

 1994年、国連は人権高等弁務官を創立した。1995年、国連は「人権教育のための国連の10年」、2005年、「人権教育のための世界計画」をスタートした。

2.日本国内での人権基準の適用(1)—日本政府のレベルー

 日本では国連レベルやヨーロッパレベルの人権レジームはまだ整備されていない。

1.はじめに  1993年、国連は世界人権会議で「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の普遍性を確認し、人権政策を人権教育に重点...

 日本政府の人権背策は、人権レジーム整備よりも「人権教育啓発」を重視する点に特徴がある。また、国際人権法学者の藤田早苗が指摘したように、国会が制定した「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(2000年)の「人権教育」と「人権啓発」は、国際人権基準の「教育」と一致しない。

1.はじめに  1989年、米ソ冷戦が終結して、1993年、国連は世界人権会議を開催して「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の...
/" class="blog-card-thumbnail-link">
1.はじめに  1989年、米ソ冷戦が終結して、1993年、国連は世界人権会議を開催して「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の...

(1)日本政府の「内閣」ー「総理大臣」の位置ー

(A)「内閣」の位置ー三権分立により独立した行政権の所属組織ー

第六十五条 行政権は、内閣に属する。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm#5sho

(B)「内閣総理大臣」の位置ー「内閣」の「首長」ー

第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。

2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm#5sho

 以上により内閣は人権政策の推進という点での「行政権の行使」については、「国会」に対して「連帯」「責任」を負うことが確認出来る。もし人権政策が不適切な場合、それを推進した内国に「責任」があり、その内閣はその点おいて「国会」に対して「連帯」「責任」を負うことは憲法的には極めて明確である。

〔基本的人権の由来特質〕

第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕

第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

〔憲法尊重擁護の義務〕

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm#5sho

(2)政府の外交ー外務省の場合ー

 外務省は国連で積極的に人権外交を展開した。

1.はじめに  1989年、米ソ冷戦が終結、1993年、国連は世界人権会議で「ウィーン宣言及び行動計画」を採択して、人権政策を展開し...

(3)政府の内政

 1999年、人権擁護推進審議会答申が出された。日本政府の人権政策の基礎の一つになった。

1. はじめに  米ソ冷戦後の1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性を確認し、1995年から「人権教育のためのの国連の10年」...

 2000年、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」制定。

 2002年、「人権教育・啓発に関する基本計画(第一次)」策定。

 2020年、「「ビジネスと人権」に関する行動計画」策定。

 2025年、「人権教育・啓発に関する基本計画(第二次)」策定。

(A)文部省

 2003年、文部科学省、「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」設立。

 2008年、同調査研究会議、「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」・・・同会議の座長であった福田弘筑波大学名誉教授(現在)のヨーロッパ評議会の包括的人権教育の研究成果が反映される。

 文科省の人権教育政策は国際人権と整合的、互換的である。

 しかし、学習指導要領の人権教育は不明である。「人権科」という科目は「学校」にはない一説によれば、既存の教科教育の枠組みの中で人権教育を展開している。しかし、それは証明する必要がある。

(B)法務省

 現在、法務省は「ビジネスと人権」政策を推進している。

https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00090.html

(C)経済産業省

 現在、経済産業省も「ビジネスと人権」政策を、「責任あるバリューチェーン」の形成という方向性で推進している。

https://www.meti.go.jp/policy/economy/business-jinken/index.html

(3)「外交ー内政」の関係と「複数の内政内差異」

 以前人権政策の点で外交と内政は大きな不一致があったが、現在では改善されつつあると評価出来る可能性がある。

 外交と内政では「人権」観が一致しない側面もある。また、複数の内政内でも「人権」観が一致しない側面はある。

1. はじめに  外務省の「外交=人権外交」では、国際人権基準に依拠して「普遍的価値としての人権」が重視されているが、内政では人権は...

 しかし、現在は完全に分裂している訳ではなく、マクロ的には不一致を改善する方向にあると評価出来る。

3.日本国内での人権基準の適用(2)ー地方自治体のレベルー

(1)一般行政からの教育行政の独立

 地方自治体では一般行政から教育行政が相対的に独立している。従って自治体の教育委員会は一般行政に対して相対的自律性がある。

 自治体の人権(教育)政策も自治体間差異がある。また、同一の自治体内でも一般行政と教育行政間には内的差異もある。

(3)事例ー大分県大分市の場合ー

 国際人権法学者の藤田によれば、大分県大分市の人権教育政策が前提にしている「人権」観は、普遍的価値としての人権が特殊的価値としての「思いやり」や「優しさ」等の道徳的心情・情操・感情としての特殊的価値観へ変換されている。

1.はじめに  1989年、米ソ冷戦が終結して、1993年、国連は世界人権会議を開催して「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の...

 このような地方自治体レベルでの価値の変換は、一般的なものなのか、例外的なものなのかは不明である。

 しかし、現在の東京都の人権教育政策にも同様な現象を確認することが出来る。少なくない小学生も「人権=思いやり、優しさ」と認識、評価している。恐らく例外的だか、小学生でも日本国憲法を直接読む経験がある場合、人権を正確に理解している子どももいる。

4.日本国内での人権基準の適用(3)ー教育のレベルー

 1999年の人権擁護推進審議会答申は、「人権尊重の理念について必ずしも十分認識していない指導者が見られる」と指摘した。

 ともすると知識を一方的に教えるにとどまっている,人権尊重の理念について必ずしも十分認識していない指導者が見られる,などの問題が指摘されている。また,人権教育を実施するに当たっては,外部の不当な介入を受けることなく,教育の中立性を確保することが引き続き重要な課題となっている。

https://www.satoshi-kaneko.com/justice/6247/

 1999年から200年に人権教育研究者の阿久澤麻理子が教育関係者に行った全国的なアンケート調査によれば、多くの人間が「人権」を「思いやり」等と認識、評価していた。

1.はじめに  1989年、米ソ冷戦が終結して、1993年、国連は世界人権会議を開催して「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の...

 阿久澤の研究成果は、「人権尊重の理念について必ずしも十分認識していない指導者が見られる」という答申の指摘には事実認識の妥当性があることを証明するものである。

 日本の場合、教育関係者自体が「人権」について正確な認識や評価が欠如していることが確認出来る。それは理性的な判断による結論というよりは、理性が適用されない身体的に「生活習慣」化した発想・行動様式であると評価出来る。これはフランスの社会学者のブルデューが提示した「ハビトゥス」を意味する。それは「構造化する構造」であると同時に「構造化される構造」でもある。それは理性の作用の結果ではなく後天的に身体的に獲得された「習慣」をである。

(A)学校教育のレベル

 日本の「学校」(学校教育法第1条)で国連の世界人権宣言を明確に前提にして来た事例は、少ない。例外的な事例の一つとして「私立大学」のICUがある。入学した際、1993年の世界人権会議以前から歴史的にICUは、世界人権宣言を尊重する宣誓を学生にさせて来た。

 ICUでは人間の個としての発達、および社会における個人の権利という問題が献学以来重視されてきました。1953年4月29日、最初の入学式に出席した新入生は一人ひとりが紹介され、それぞれが大学の原則を支持し、国際連合が採択した「世界人権宣言」(1948年12月10日国連総会決議により採択)の原則にたち、大学生活を送る旨を記した誓約書に署名しました。この時以降、学生宣誓は毎年の入学式における慣例となっています。

https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/

 現在でも同宣言を前提に学校環境が設定されている「学校」は少ない可能性がある。

5.日本国内での人権基準の適用(4)ーマスメディアのレベルー

日本政府、特に外務省は国連で積極的に人権外交を展開している。メディア専門家、ジャーナリストの人権研修も重視している。

 2013年9月 「人権教育のための世界計画決議(A/HRC/24/15)」が第24回人権理事会において無投票で採択された(我が国は共同提案国)。

第3フェーズ行動計画(2015~2019年)は、第1及び第2フェーズの履行に係る努力の強化をすると同時に、「メディア専門家及びジャーナリストへの人権研修の促進」がテーマ。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/kyoiku/index.html

 しかし、管見では、現在でも日本のマスメディアがリリースしている情報は、国際人権基準と整合的ではないと評価出来る。殆どの関係者は、国連の「人権研修」を受けていない可能性が多い。

https://www.satoshi-kaneko.com/justice/9903

6.日本国内での人権基準の適用(5)ー宗教のレベルー

 宗教には伝統宗教と非「伝統宗教」がある。非「伝統宗教」は近現代に成立したものである。また、宗教には信者が人口に占める割合が高い場合と低い場合がある。また、世界的な影響力を持っているグローバル宗教である場合と一国内の特定文脈に止まっているローカル宗教がある。また、宗教には人権にコミットしている場合とコミットしていない場合がある。現代世界では、人権のコミットしていない宗教は「カルト」あるいは「セクト」と認識、評価される。例えば、フランスのセクト規制法も同様な基準を採用している。しかし、日本にはまだ同様な法律はない。しかし、統一教会は②政府により宗教法人としての認可を取り消された。

 「現代化」して人権にもコミットしているグローバル宗教でもある伝統宗教の代表事例としては、カトリックがある。バチカンは1960年代に「現代化」して世界人権宣言等の人権へコミットしている。

1.はじめに  1948年、国連は世界人権宣言を採択した。その後、国連は国際人権条約を発展させた。  米ソ冷戦後の1993年、...

 しかし、日本のカトリックは精神的「現代化」に「失敗」したと評価されている。

 2017年に日本カトリック司教団は『いのちへのまなざし』で世界人権宣言の意義を理解しコミットして「現代化」した。しかし、バチカンの人権へのコミットと比較すると、相当な時間を要した。

1.はじめに  1948年、国連は世界人権宣言を採択した。1993年、国連は世界人権会議を開催して、「ウィーン宣言及び行動計画」を採...
1.はじめに  1948年、国連は世界人権宣言を採択した。米ソ冷戦後の1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性、相互不可分性、相...

 バチカンに対する日本のカトリックの「現代化」の困難性や不可能性は、カトリック受容の文脈や動機と密接に関係する。他者、特に「強者」への「怨念」を基礎にした「ルサンチマン(価値転倒)」による「劣等感」からの解放が受容の動機である場合、「ルサンチマン」はカトリックの「ラブ」へ発展し難い。

 その場合、多くのカトリックの信仰は、バチカンの「ラブ」の「保守」によって「現代化」したカトリック信仰とは相当異質なものであると評価出来る。実際、日本国民のカトリック関係者も日本のカトリックは「信仰」ではなく「生活習慣」であると評価していた。その場合、日本のカトリックは「現代化」の困難化、不可能化に陥る。それはバチカンの方針と対立するだけでなく、国連の人権基準ともそれに適用しようとしている日本政府の方針とも対立する。彼等は人権基準、特に国際人権基準が明確になればなる程、「現代日本」への「不適応者」としての輪郭が明確する。それは「カルト」や「セクト」の自己開示過程でもある。

 しかし、当事者はそれを客観的、理性的に認識、評価しない場合もある。その場合、当事者は自発的に「逸脱」を修正することは困難、不可能である。その結果、他者との「共生」も困難、不可能になる。主観的には兎も角、客観的、実質的には国連や日本政府の人権政策の「抵抗勢力」を構成することになる。

7.おわりに

 人権政策の展開による日本国内の自生的秩序への人権基準の適用は、人権基準から逸脱するる、“vulnerable groups”を明確化し可視化するか? 確かに従来の日本では曖昧だったリスクが、次第に明確化する可能性はある。例えば、「不審者」の明確化ある。現在、文科省の方針に沿って日本の大学も学生に「注意喚起」している。

1.はじめに  冷戦終結後の1993年、国連は世界人権会議を開催し「ウィーン宣言及び行動計画」を採択し、人権の普遍性を確認した。国連...

人権基準、特に国際人権基準からの「逸脱者」を作らず、日本でも「異質な他者」も「包摂(インクルージョン)」するためには、普遍的価値としての人権を普遍的価値として伝えたり教えたりする必要がある。国連も人権教育を重視している。最終的には人権教育に期待する以外しかないということである。

 人権基準、特に国際人権基準の適用はリスクも明確化するので、人権侵害の被害者を救済する人権レジームも国連の基準で整備する必要がある。その場合、人権教育には人権レジームの改革への志向性も含める必要がある。特にその整備が進んでいない日本では、その点がより一層重要になる。

 世界的に人権教育は、幼児期から始める必要があると指摘されている。例えば、ラルフペットマン編[福田弘監訳/内田多美訳]『幼児期からの人権教育ー参加体験型の学習活動事例集ー』(明石書店、2002年)等がある。ヨーロッパ評議会の包括的人権教育も、大人用の『コンパス』とは異なる子ども用の『コンパシート』がある。それは世界的にも評価が高く、文科省の人権教育政策でも参照されている。

 しかし、もし人権教育を適切に受けずに成人になっていても、人権をシンプルに正確に伝えれば、「日本国民」でも十分に人権を正確に理解して受容する場合もある。

 国際人権法学者の藤田も、「思いやり」や「優しさ」等の道徳的心情等も全く否定せず、「もちろん重要だ」と指摘している(藤田早苗『武器としての国際人権ー日本の貧困・報道・差別ー』集英社新書、2022年、p.18)。

 重要な点は、「普遍的価値としての人権」と「特殊的価値としての道徳的心情等」を混同せず、適切に区別することである。同一のものは同一のものとして異なるものは異なるものとして理性的に区別することが重要である。問題は非常にシンプルである。1999年、人権擁護推進審議会答申も、「日本国民」の「合理的判断能力」の欠如を指摘した。

 このように我が国には今なお様々な人権課題が存在するが,その要因としては,人々の中に見られる同質性・均一性を重視しがちな性向や非合理な因習的な意識,物の豊かさを追い求め心の豊かさを軽視する社会的風潮,社会における人間関係の希薄化の傾向等が挙げられる。国際化,情報化,高齢化,少子化等の社会の急激な変化なども人権問題を複雑化させる要因となっている。また,国民一人一人において,個々の人権課題に関して正しく理解し,物事を合理的に判断する心構えが十分に備わっているとは言えないことが,それぞれの課題で問題となっている差別や偏見につながっているという側面もある。

https://www.satoshi-kaneko.com/justice/6247/

 その場合、「日本国民」は「合理的判断能力」を「デベロップメント」させて、両者を理性的に区別した上で、多くの「日本国民」が大切にしている「思いやり」や「優しさ」も、重要な価値として伝えりたり教えたりすれば良いのである。ただそれだけのことなのである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする