1.はじめに
1993年、国連は世界人権会議で人権の普遍性を(再)確認した。バチカンも1963年に国際人権にコミットした。しかし、日本のカトリックは精神的「現代化」に失敗した。日本カトリック司教団が世界人権宣言にコミットしたのも、2017年になってからだった。
「現代世界」あるいは「現代日本」の中で、日本のカトリックは「現代化」しない状況で生きていた。ある意味で国際人権のハードケースでもある。
国際人権へのカトリック系学校のスタンスとは? 国際人権への日本のカトリック系学校のスタンスーイエズス会士の教育学者・高祖敏明を事例にすると?
2.各文脈
(1)国連
国連憲章(1945年)⇒世界人権宣言(1948年)⇒国際人権規約(1966年)⇒女性差別撤廃条約(1979年)⇒子どもの権利条約(1989年)⇒世界人権会議の人権の普遍性(再)確認(1993年)⇒「人権教育のための国連の10年」(1995年~2004年)、「人権教育のための世界計画」(2005年)⇒障害者の権利に関する条約(2006年)⇒人権を重視するSDGs(2015年)⇒未来サミット(2024年)・・・。
(2)国際人権への日本政府の応答ー1995年ー
1979年、国際人権規約を批准。
1985年、女性差別撤廃条約を批准。
1995年、閣議決定により、内閣総理大臣を本部長とする「人権教育のための国連10年推進本部」設置。
1996年、「人権擁護施策推進法」。
1997、「「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画」。
同年、「人権擁護推進審議会」設置。
1999年、「人権擁護推進審議会答申」。
2000年、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」。
2002年、「人権教育・啓発に関する基本計画(第一次)」。
2003年、文部科学省、「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」設立。
2008年、同調査研究会議、「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」・・・福田弘の包括的人権教育に関する科学研究費研究成果の参照。
2021年、学校教育における人権教育調査研究協力者会議「人権教育の指導方法等の在り方について〔第三次とりまとめ〕策定以降の補足資料」改訂。
2022年、学校教育における人権教育調査研究協力者会議「人権教育の指導方法等の在り方について〔第三次とりまとめ〕策定以降の補足資料」改訂。
(3)国際人権への日本の教育(学)界の応答ー1974年ー
(4)国際人権へのバチカンの応答ー1963年ー
(5)国際人権への日本カトリック司教団の応答ー2017年ー
(6)国際人権への日本のカトリックの教区のスタンスー?ー
3.国際人権へのイエズス会士の教育学者の高祖敏明のスタンス
ヨハネ23世の世界人権宣言にコミット後の1970年代後半以降、教会から日本のカトリック系学校は、理念と現実の不一致を批判され、修道者の中にはアイデンティティの危機に陥る者も現れた。
(日本のカトリック系学校が――引用者による注)実際に「富める者のための学校」となっている以上、第2ヴァティカン公会議をとおして基本姿勢の転換を図った現代の教会の方針にそぐわない。なぜなら、この姿勢転換とは、福音を「時のしるし」のもとに読み直して、「貧しい人を優先させる」という方針に切り替えたものだから、と攻めたてられる。こうして、福音にもとづいて始められたはずの教育使徒職が福音の名において批判され非難されるという、悲しくゆゆしい事態に陥った。
高祖敏明「カトリック学校の役割の再発見―二一世紀に向けての魅力ある学校づくり―」、『カトリック教育研究』第12号、1995年、p.6。
1980年、憲法学者の小林直樹は「自由競争の人間社会=悪の華」論を主張した。
問題はただし、自由競争を進歩のバネとしてきた人間社会は、空想的な花園ではありえず、ときには邪悪な力や“悪の華”が咲きほこる闘争場だという点にある。
小林直樹「教育における平等」、『講座教育法』第2巻、総合労働研究所、1980年、p.21。
ヨハネ23世が世界人権宣言にコミットした後の1980年代、高祖はフランスのアクション・フランセーズのフィリップ・アリエスの「教育」の社会史へ関心を向けていた。
社会史・心性史的アプローチから西ヨーロッパの実際史を考察する。Ph.Ariesのいう子どもの「誕生」、子どもの「発見」を確認しながら、J.R.ギリス『<若者>の社会史』(新曜社、1985)を演習形式で講読する。
『上智大学大学院履修要綱』上智大学学事部、1987年、p.48。
ヨハネ・パウロ二世が人権に再コミットした『新しい課題』(1991年)の翌年、国連の世界人権会議の前年に当たる1992年、高祖の意識内容を確認する。
皇太子妃が2代続けて、カトリック学校に学んだ女性から選ばれた。マスコミ報道によれば、そのためカトリック教育に世間が改めて注目しているという。母校に連なる直接の関係者でなくても、カトリック学校にゆかりのある人の中には、まるで自分のことのように誇りに思い、喜びを感じている人も少なくないであろう。
(中略)
『ミッション・スクールのお嬢さん教育』(1985年10月)を著した山内継祐氏が興味深いエピソードを紹介している。「東京都内のある大学の大学祭の一イベントとして、『出身高校別・女子大生<高感度>コンテスト』が催された。」(中略)「学生たちの“人気投票”には意外な偏りが見られ……どの学部でも一位は私立女子高、それもミッション・スクールの出身者が占めていた」というのである。では、そこではいったい何がそれほど魅力的だったのであろうか。山内氏は主催者の学生の弁を引用しながら、次のような引用を加えている。「高感度ナンバー・ワンの女子大生たちはいずれも、日頃はおとなしくて目立たない、控え目なお嬢さんばかり。『どの娘もとりたてて美人というほどでもないのに、と最初は不思議だったんです。“表彰式”にも出たがらないほど控え目な娘ばかりで、式が流れちゃったくらいです。でも、彼女たちの本当の魅力は、そこにあったんですね。みんなしっかりした自分のモノサシを持っていて、ここぞというところでは、絶対に譲らない。そのくせ並の強情さとは一味違って、不思議な暖かさを感じさせるんです。彼女たちと話していると、気持ちが安らぐんですね。』」 ここにいうミッション・スクールとは、キリスト教系の諸学校を全体として指しているようにも受け取れる。しかし、著者自身が、「イベント主催者の感想は、ミッション・スクールのお嬢さん教育の特色をすばりと言い当てている」とし、これをカトリック学校と言い換えて言葉を続けている。「それらの特色をわがものとしたお譲さんたちが若者たちの圧倒的支持を受けているのだとすれば、カトリック学校で播かれた種子は立派に実を結んでいることになるだろう」と。こうして、いまからすでに8年前、わが国で繰り広げられてきたカトリック女子教育に注目し、このように暖かく紹介したジャーナリストがいたのである。
高祖敏明「カトリック女子教育のアイデンティティー―二重の混乱と最近の再構築の試みを中心に―」、『カトリック女子教育研究』第2号、カトリック女子教育研究所、1993年、pp.1~2。
1996年、高祖はカトリック系学校批判を批判した。
第四の異論は、カトリック学校が社会階層を固定化し、社会的・経済的差別を維持し助長する役割を果たしており、しかも主に富者に奉仕している、との非難である。この指摘は国によっては現実を突いている。しかし、その主たる理由は、その国の教育制度・政策のほうにあるのであって、法的・経済的事情がカトリック学校の望ましい活動の幅を狭めているのである。
第五の異論は、多大な労力・人材・金銭をかけているにもかかわらず、カトリック学校の成果は期待されているほどにはあがっていないし、自らの信仰を生き抜き、政治的・社会的課題に立ち向かうような本物のキリスト者を育てていない、と指弾するものである。しかし、この主張は、教育という営みには不可避の、成果の不確かさを余りにも軽視しすぎている。長い年月を経て初めてその成果が現れることも稀ではないからである。
高祖敏明「カトリック学校」、『カトリック大事典』第Ⅰ巻、研究社、1996年。
国連が「人権教育のための国連の10年」をスタートした翌年に当たる1996年、高祖はカトリック系学校の改革状況を次のように説明した。
こうしてカトリック学校がそれぞれの置かれた場と状況のなかで、真に「福音の光を伝える」ものとなるべく、平和教育、開発教育、環境教育などの今日的課題をも視野に収めたアイデンティティの確立とその具体化に取り組んでいるのが現状である。
同上書。
「人権教育」が存在しないことが確認出来る。「など」の中に「人権教育」も含まれる可能性はある。しかし、「人権教育」にウェイトを置いていなかったことが確認出来る。実際、1996年段階では日本カトリック司教団も国際人権にはコミットしていなかった。
「人権教育のための国連の10年」に当たる2001年、英語学者の渡部昇一は、次のような「不平等主義」を主張した。渡部は上智大学卒業後、同大学文学部英文学科に教員として採用され、退職後同大学名誉教授になった「日本国民」のカトリックの一人である。
たとえば藤原紀香や松嶋奈々子は、「美しい」という理由によって何億円もの収入を稼いでいる。普通の女性、あるいは美しくない女性が、「こんな不平等なことがあっていいのか」と抗議したところで、これは仕方がない。もし「日本の女性をみんな平等にせよ」と唱えたとしても、日本の女性をすべて美女にすることは不可能である。しかし、日本の女性をすべて不美人にすることは、じつは簡単である。「女の子が生まれたら、三日以内に鼻に焼きゴテを当てるべし」という法律をつくればよいのである。これで日本中の女性はみんな平等に不美人になる。みんな美人にはできないが、みんな不美人にすることはできる。極端な例ではあるが、平等主義とはこういうものである。(中略)「平等」とは「一番悪いほうに合わせる」以外には実現し得ない。そのことを日本人ははっきりと認識すべきである。ほんとうに貧しい人に対しては当然、社会政策として最低限の救いがあってよい。ただし、その最低限は「飢えず、凍えず、雨露に当たらず、痛みをなくする程度の医療」であって、それ以上の面倒を国家が見る必要はない。「そこで諦める人はそのまま人生を送って下さい。しばらく羽を休めてから立ち上がって仕事に入る人はそれもよろしい」とするのが望ましい姿であろう。それ以上を与えれば、与えられた人間は必ず堕落する。本来平等ではあり得ないものを平等にしようというのは土台無茶な話なのである。
渡部昇一『不平等主義のすすめ―二十世紀の呪縛を超えて―』PHP研究所、2001年pp.45~47。
2002年、「ヨーロッパ人」ではなく「アメリカ国民(テキサス州出身?)」のイエズス会士であるウィリアム・カーリー上智大学学長は、同大学の入学式で新入生に「自分のアイデンティティを確立せよ」と主張した(ウィリアム・カーリー「自分のアイデンティティを確立せよ」、『上智大学通信』第290号、上智大学総務部広報課、2003年4月15日。歌手の早見優はカーリーを上智大学時代の「恩師」であるとNHKで証言していた)。
2020年代に入ると高祖は、取り組んでいた『潜伏キリシタン図譜』を完成させ、新聞にも取材された。
広島県出身で家族は浄土真宗の安芸門徒。イエズス会設立の広島学院に進学し(中略)洗礼を受けた。聖職に生きると決めたのは20歳の時。(後略)
「(ひと)高祖敏明さん 「潜伏キリシタン図譜」を完成させた聖心女子大学長」、『朝日新聞』のネットの有料記事、2022年3月22日。
2024年、春の叙勲で、高祖は「旭日重光章」を以下のような理由によって受章した。
今回の叙勲は、多年にわたり上智学院理事長として、また聖心女子大学学長、文部科学省中央教育審議会専門委員などの要職を歴任してリーダーシップを発揮し、私立学校の発展と振興に尽力したことが評価されたものです。
https://www.sophia.ac.jp/jpn/article/news/topics/240429/
しかし、現段階では高祖が国際人権基準の「教育」に取り組んだことは、科学的にも学問的にも証明されていない。
4.おわりに
国連が「人権教育のための国連の10年」に取り組んでいた1996年でも、高祖は人権教育へ言及しなかった。国連が「人権教育のための世界計画」に取り組み、日本政府も積極的にコミットしていた2020年代でも、高祖の関心は国際人権でなく潜伏キリシタンにあった。
高祖は「日本国民」のイエズス会士である。「イエズス会士」の英語は“Jesuit”である。英語の“Jesuit”には、イエズス会士以外に「⦅陰険な⦆策謀家」、「詭弁家」という意味もある(『リーダーズ英和辞典(第3版)』研究社、2012年)。「イエズス会士」のフランス語は、“jésuite”である。“jésuite”の形容詞には「偽善的な」、「陰険な」、名詞には「猫かぶり」、「偽善者」という意味がある(『プチ・ロワイヤル仏和辞典(改訂新版)』旺文社、1996年)。「イエズス会士」のドイツ語は“jesuit”で、「狡猾な男」という意味がある(『独和辞典』郁文堂、1990年)。
以上から世界的にイエズス会士は評判が悪いことが確認出来る。それは日本の叙勲制度の誤作動も示唆している。